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『易経』とDNA
DNAと言えば、20世紀後半になって人類がようやくたどり着いた生命科学上の大発見ですが、これを何千年も前、はるかな太古の時代に易の始祖はすでにその存在を直感的に知っていたと言ったら、読者はどう思われるでしょうか。DNAと易経との不思議な結びつきを発見したのが、今泉久雄(故人)さんです。長くなりますが、今泉説を以下に紹介致したいと思います。
● 3
DNAという螺旋の上には、四種類の塩基A、T、G、Cが並んでいます。そして、その内の三つの塩基の組合わせで様々なアミノ酸ができるのです。つまり、三つの塩基の組合わせこそ生命の基本単位ということになります。例えば、TTTでフェニルアラニン、GCCでアラニンという具合にアミノ酸ができるのです。
※ 下図、「DNAの遺伝子暗号表(トリプレット)」を参照のこと。
次に、易の八卦に注目してみましょう。八卦は全て陰陽を表す爻を三本ずつ組み合わせて、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の八つができ、易の基本構造を成しています。
つまり、DNAと易の間で共通するキーナンバーの一つが「3」なのです。3は太古の昔から様々な現象のはじまりを表わす神秘的な数字として捉えられていたようです。ローレンス・ブレアも『超自然学』の中で、「3は調和のとれた安定性を表わす。安定性はここでは意識的な動きを指し、動きとは、すなわち機能である」と述べています。
● 64
生命の基本単位は、既述した通り、四種類の塩基から三つずつ組み合わせたものです。そして、全部でいくつの組合わせがあるかというと、64通りあるのです。 (4×4×4=64)
易の場合、八卦が二つ重ねられて64卦ができるのです。
ここにもDNAと易に共通した数字、「64」があります。これが、二番目のDNAと易に共通するキーナンバーです。
DNAの遺伝子暗号表(トリプレット)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃TTT フェニルアラニン TCT セリン TAT チロシン TGT システイン ┃
┃TTC フェニルアラニン TCC セリン TAC チロシン TGC システイン ┃
┃TTA ロイシン TCA セリン TAA 停止信号 TGA 停止 ┃
┃TTG ロイシン TCG セリン TAG 停止 TGG トリプトファン┃
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
┃CTT ロイシン CCT プロリン CAT ヒスチジン CGT アルギニン┃
┃CTC ロイシン CCC プロリン CAC ヒスチジン CGC アルギニン┃
┃CTA ロイシン CCA プロリン CAA グルタミン CGA アルギニン┃
┃CTG ロイシン CCG プロリン CAG グルタミン CGG アルギニン┃
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
┃ATT イソロイシン ACT トレオニン AAT アスパラギン AGT セリン ┃
┃ATC イソロイシン ACC トレオニン AAC アスパラギン AGC セリン ┃
┃ATA イソロイシン ACA トレオニン AAA リジン AGA アルギニン┃
┃ATG イソロイシン ACG トレオニン AAG リジン AGG アルギニン┃
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
┃GTT バリン GCT アラニン GAT アスパラギン酸 GGT グリシン┃
┃GTC バリン GCC アラニン GAC アスパラギン酸 GGC グリシン┃
┃GTA バリン GCA アラニン GAA グルタミン酸 GGA グリシン┃
┃GTG バリン GCG アラニン GAG グルタミン酸 GGG グリシン┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
● 4
爻の陽爻(―)と爻の陰爻(--)を二つずつ組み合わせると、以下の通り、全部で八通りの組合わせが出来ます。そして、それぞれの組合わせに名前を下記の通りにつけてみます。
※ ―と--との組み合わせは、メールでは表現できませんので、陽(―)と陰
(--)の字を使います。陽陰と書いたら、―が上、その下に--があると考
えてください。
陽陰 → 少陽
陽陽 → 老陽
陰陽 → 少陰
陰陰 → 老陰
さて、上記の四象を三つ重ねると64通りの卦、即ち64卦が出来きます。
例えば、64卦の一つ、「説」は、上から少陰・老陰・老陽の組合わせになります。
では、DNAの塩基と易の四象とを対比してみましょう。
A アデニン → 少陽
T チミン → 老陽
G グアニン → 少陰
C シトシン → 老陰
すると、アミノ酸の一種であるセリンは、TCGですから、老陽(T)・老陰(C)・少陰(G)ということになります。
このように、四象が三つ組み合わさると考えますと、DNAと易は一致するのです。
以上までの話であれば、偶然の一致ですませることもできるでしょう。しかし、まだ続きがあるのです。
● 2
DNAの四つの塩基には、次のような法則があります。
AはTとのみ結合する
GはCとみの結合する
これは、何の話かといいますと、螺旋階段のように伸びていくDNAの踏み段に当たる部分は、両側の手すりから一個ずつ突き出された塩基と結合しています。そして、結合する相手は決まっており、それが上記の法則の意味なのです。ここで易の陰陽をあてはめますと、上記の法則は下記のように書き換えることができます。
AとG 陰(--)
TとC 陽(―)
すると易の乾から始まって、整然とDNAと八卦が対応しているのです。それが下の「遺伝暗号の易学的解説」の図です。
遺伝暗号の易学的解説
─ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ─
↑ ┃ TTT (乾) TCT (乾) TAT (離) TGT (離) ┃ ↑
乾 ┃ TTC (乾) TCC (乾) TAC (離) TGC (離) ┃ 離
・ ┃ TTA (巽) TCA (巽) TAA (艮) TGA( 艮) ┃ ・
巽 ┃ TTG (巽) TCG (巽) TAG (艮) TGG( 艮) ┃ 艮
グ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ グ
ル ┃ CTT (乾) CCT (乾) CAT (離) CGT (離) ┃ ル
| ┃ CTC (乾) CCC (乾) CAC (離) CGC (離) ┃ |
プ ┃ CTA (巽) CCA (巽) CAA (艮) CGA (艮) ┃ プ
↓ ┃ CTG (巽) CCG (巽) CAG (艮) CGG (艮) ┃ ↓
─ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ─
↑ ┃ ATT (兌) ACT (兌) AAT (震) AGT (震) ┃ ↑
兌 ┃ ATC (兌) ACC (兌) AAC (震) AGC (震) ┃ 震
・ ┃ ATA (坎) ACA (坎) AAA (坤) AGA (坤) ┃ ・
坎 ┃ ATG (坎) ACG (坎) AAG (坤) AGG (坤) ┃ 坤
グ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ グ
ル ┃ GTT (兌) GCT (兌) GAT (震) GGT (震) ┃ ル
| ┃ GTC (兌) GCC (兌) GAC (震) GGC (震) ┃ |
プ ┃ GTA (坎) GCA (坎) GAA (坤) GGA (坤) ┃ プ
↓ ┃ GTG (坎) GCG (坎) GAG (坤) GGG (坤) ┃ ↓
─ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ─
ここでよく注意して見ると、第一文字と第二文字とが二文字で一つのセットになっています。そして、この最初の二文字のセットが、T、C、A、Gの順序で第三文字に加わっているセットを一つのグループ(例:TTT、TTC、TTA、TTG)とすると、全部で16のグループに分けられます。この16のグループをさらにわけると次の四つのグループになるのです。
乾巽グループ
兌坎グループ
離艮グループ
震坤グループ
次に下の「先天八卦図」を見てください。メールなので線が引けませんでしたが、左上から右下の斜線で、乾巽、兌坎、離艮、震坤のそれぞれが結ばれているものと思ってください。
次に、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤を下記のように区分します。
乾 → 陽
巽 → 陰
兌 → 陰
坎 → 陽
離 → 陰
艮 → 陽
震 → 陽
坤 → 陰
さらに、上記の区分を乾巽グループ等の四つのグループに組み直しますと、陰陽の次のような組合わせができます。
乾巽 → 陽陰
兌坎 → 陰陽
離艮 → 陰陽
震坤 → 陽陰
● 開始と停止
繰り返しますと、DNAのテープの上に遺伝子暗号(トリプレット)、つまり塩基であるATGCが並んでいます。そして、CTCなどのように三文字で一つのアミノ酸になっているということを既に述べました。
さて、ここで大事なことは「どこから始まって、どこで終るのか」ということが明確になっていないといけません。例えば、AGATTTCAGAGT・・・というテープがあったとします。最初のAからはじまるものとすると、アルギニン(AGA)という情報になります。AではなくGからはじまっているものとすると、アスパラギン酸(GAT)です。つまり、Aからはじまるのと、Gからはじまるのとでは、まったく別のアミノ酸になってしまうということになります。
では、どのようにして「はじまり」をDNAは見分けているのか? それは、開始と停止を告げる某遺伝子暗号(トリプレット)の存在が鍵になります。下記をご覧ください。
ATG → 開始
------------------------
TAA → 停止
TAG → 停止
TGA → 停止
ATGは同時にメチオニンを表わす暗号でもあるのですが、何故か混乱せずに「メチオニン」と「開始」とを混同することはないようです。何故、混同することがないのかということは、現代科学ではわかっていません。
次に、暗号にはアミノ酸を指定しないトリプレットが三つあります。それが、停止の信号であるTAA、TAG、TGAなのです。
さて、この「開始」と「停止」の暗号と易と何か関連かあるのでしょうか。実は、ATGは、易でいう、「坎」に相当しているのです。
ATG → 坎
DNAで開始を表わす暗号は、易では「坎」に当たります。易経の解説書である「説卦伝」で坎の象意を下記のようにいっています。
坎は陥なり
また、『海運・気楽入門』(服部龍太郎)の「白水星」で「坎」を次のように解説しています。
[坎をはじめとす]----地中の陰から一陽の芽が出ようとす
るとで、ものでも作用でも始めをなすもの。数でいえば一、
色では白色。(「地中の陰から一陽の芽が出ようとするとき」
というのは、坎に該当する小成卦におけける第三爻の陰爻は
地をかたどり、第二爻の陽爻は、萌芽を象徴する、と解する)
[坎を水とす]----水は万物のはじめをなすものにて、特に
流水を指す。両岸の動かざるなかを流れる水の意で、両岸を
陰とみ、流水を陽とみたもので、止水ではない。
[坎を交わりとす]----天気下降し、地に交わりて万物を生
ずるを始めとするので、いっさいの交わる作用をいう。売り
手の陽と、買い手の陰を交わることによって取引が行なわれ
るので、取引や交際も一白水星の象とする。男女の交合も一
白である。
ここまで読めば、「ATG → 坎」は疑いの余地がありません。
------------------------
次に、「停止」はどうでしょうか。次のように、これも符合するのです。
TAA → 艮
TAG → 艮
TGA → 艮
DNAで開始を表わすコトバは、易では「艮」に当たります。易経の解説書である「説卦伝」で坎の象意を次のようにいっています。
艮は止なり
艮は上の陽が二陰の進むをおしとどめる象だから、止む
(『易経 下巻』 高田真治・後藤基巳訳の p.295 から引用)
大分DNAと易の話が長くなりました。しかし、DNAと易以外にも、「宇宙構造と易」、「アインシュタインの相対性理論と易」、「明在系・暗在系と易」など、易に関して述べたいテーマは他にも沢山あるのです。しかし、キリがありませんのでこのあたりで止めたいと思います。
結論として、『易経』という書は、「宇宙構造の原理と変化の根本原因の解明」の書(張錦春さん)に他なりません。そして、21世紀に相応しい易経の研究が進展することを期待したいものです。何故なら、「易は数理哲学の一種であり、老子哲学の真髄をビジブルにしたのが『易経』だから、幾何学としての易をマスターすることで、『道徳経』の哲学のアナログ化を誰かがやらなければいけない」(藤原肇さん)からです。
そろそろ、『易経』は占いの書という固定概念から脱却する時期が迫ってきているようです。
特別寄稿
東明社社長 吉田寅二
『易経』について近づく前に、それに対する正しい姿勢(ミイラ取りがミイラにならないための)について一言申しあげます。
現在は、世界的に行き詰まり感がただよっています。それはどうしてでしょうか。
それは現代科学が自分に科した制約、数として捉えられる現象以外は存在しないという原理。その自縛原理から抜け出せないからです。
数理重視の科学は解決できない問題を、その数理科学で解きあかそうというのですから、土台無理な話です。
それには方向転換が必要です。それを明らかに示してくれたのが藤原肇・張錦春著の『宇宙巡礼』ですし、実藤遠の『歓喜の書』です。要点は何かというと、数ではなく形と相で捉えようというわけです。
数で捉えようとすると数学論理の迷路に入って、主体者の意志が混乱してしまい何をなさんとしているのか分からなくなってしまうことがあります。また現実を直視すると数では捉えられないことがあることを認めざるを得ません。
結局、現代の科学は数で把握できないものは存在しないと、割り切らざるを得なくなっています。
現実を把握するもうひとつの方法が形で捉えその相似形で判断しようという方法です。とくに『宇宙巡礼』の方法は、「動態幾何学」というもので、形で判断するだけでなく、その変化の相を捉えようというのですから、極大、極小といった感覚で捉えにくい世界を捉えるには最適な方法であることは納得できると思います。じつは「易」が捉えようとするのも、そのことですから、この本を読むと「易」の語ろうとしていることが肌で感じられるようになります。
しかし、この方法は現代科学を否定しているのではありません。現代科学の視野狭窄を補う役割をもつものです。ですから幾何学や動態幾何学の方法は、全科学者が身につけるべき新時代の認識方法といっていいと思います。
ところが中国には三千年も前から、動態幾何学的認識論として『易経』が完成したのです。ところがこの古典を漢文から読み取ろうとすると、とかくその名文に魅せられて文章が一人歩きしてしまったり、占いの書として、実用的に扱われている間に、その深い哲理が忘れ去られる危険がともないます。
そこで『易経』を学ぶ、最適の補助教科書として、前記二書をふりかえりながら読みすすめることをお薦めしたいと思います。
また中国では『易経』にある陰陽論的思考が当時の指導者の常識になっていたようですから、その思想は政治・経済や医療思想にも浸透していました。そういう思想的時代背景がありましたので、とても今日では発想も及ばぬような漢方医学の名著『傷寒論』が出現したのです。私の『易経』学習は『傷寒論』によって行なわれています。それが「易学者の易知らず」という抽象論に陥る危険から私を救ってくれたと思っています。なにしろその頃には、『宇宙巡礼』も『歓喜の書』も現われていませんでしたから。
さて『易経』に入りましょう。
易経第一の卦に「乾」があります。乾坤というように乾は天であり坤は地を意味します。
その「乾」について
『易経』の繋辞云」に
天行乾(てんこうけん)
という言葉か出ています。
これはどういう意味かというと、宇宙自然は健(すこやか)であるということです。健は乾と同じ意味です。さらにこれにつづいて、
天行乾、君子以自彊不息(てんこうけん、くんしはみずから、つとめてやまず)
宇宙自然は健やかに進んでいる。考えのある人は自らを治めるのに休むことがないという意味です。
さて今日の世相を見ますと、世界中が行き詰まりの状況です。これを打倒しようとして人々は右往左往のありさまです。現代科学は何事も解決可能のような自負心を捨てきれませんが、あらゆる知恵を絞っても打開の妙案が浮かんできません。彼らは物質科学的方法に欠陥のあることを自覚できず、うまく科学的方法のいうことをきいてくれない宇宙自然に問題在りというように考えてノストラダムスの預言を流布したり地球の破滅を危惧したりしています。
ところが宇宙自然は健やかなのであり、人間の側に間違いの原因があったのです。現代の物質科学発展の歴史は四百年の過去に発して、常識化していますので、自分たちの方に問題ありとは、なかなか思い及びません。それを気付かせてくれるのが、「天行乾」の言葉です。したがって行き詰まりに接したら、こちら側に問題がなかったかをまず反省すべきです。
塩谷信男博士が『地球の破滅を救う』において強調されていることも、一人一人が健康であり、幸せであってはじめて世界の平和が実現しそれが「地球の破滅を救う」ことにつながっていく、という趣旨であります。
さて乾の卦は『易経』六十四卦の筆頭に出てくるもので、また宇宙そのものを現わしています。ですから宇宙の一切はこれに含まれているわけです。この乾から一切の現象が現われます。そして乾の最後の卦が坤(地)になります。
六十四は二分すれば三十二、さらに二分すれば十六、八、四、二、一になります。
易の基本の八卦に次のものがあります。
乾(天)
兌(沢)
離(火)
震(雷)
巽(風)
坎(水)
艮(山)
坤(地)
この八卦は陰陽を三つ組に重ねてできる卦ですが、そこからさらに三つ組みを重ねて独特の卦をつくると六十四卦が成立します。そしてその卦それぞれに意味が与えられているばかりか卦の中の一本一本の棒(爻)にも意味があり、その組み合わせにより、複雑な宇宙、自然、社会の諸現象を頭上作成できるようになっています。
多くの現象を六十四に収斂できることは、それだけでも対象は明確になってくるわけですが、それが八卦に、さらに四象に、陰陽にまで収斂すれば事態はずいぶん明快にその全体像を現出することになります。
この易的認識方法は中国では三千年ぐらい前から普及していたものと思われます。それが医療思想にもよく浸透していたことが漢方医学の聖典といわれる『傷寒論』によく現われています。その本を一貫しているのが易の陰陽思想です。陰陽思想は今日のコンピュータのデジタル認識そのものですから、『傷寒論』は漢文ながらじつにわかりよいのです。私は易を学ぼうと志す人は『易経』とともにぜひ『傷寒論』を併読することをお薦めします。これは医学の書ですから、健康法としても興味はつきません。
これについては近畿大学の遠田裕政教授の名著『傷寒論再発掘』があります。ここには「原始傷寒論」の真実のいわれや、文章の読み方から処方(生薬の種類、組み合わせ方)などがやさしく詳しく解説してあり余すところがありません。しかも処方の説明は六十四条ですから、本気で取り組めば暗記することもできます。遠田先生は読者にこれを暗記してしまうことを要請されています。これには私も賛成です。
漢文ですが、余計な回りくどい文章がありませんので、読めばすぐ理解できます。
『傷寒論』ではあらゆる病気の発病から死(あるいは全治)を進行の段階に応じて、易の変化に応ずるように記述しています。
もし傷寒論の文章を理解し暗記していれば、傷寒論に表現するような症状の人が現われて傷寒論にある、それに適合する処方を与えれば効果覿面ということになりますから、診断治療は非常に能率的かつ的確にすますことができますので、三重得が得られることは可能といえます。
六十四の症例で間に合うのか、現代生活と二千年前の人間生活との違いによる病状の変化などを考慮すれば、そんな古代の生薬が有効性を発揮できるのか、といった疑問が生じるかもしれませんが、私はむしろ、現代ではとても考え及ばぬ統合性のある薬学体系、治療体系がよく完成されたものだと感心しています。『傷寒論』の出版されたのは200年ごろですが、そこにはそれ以前の中国の古代からの英知が凝縮されていたのです。それに比べれば、現代人は経験不足だといえるのです。
『傷寒論』記載の六十四の症例は、易の論理に従えば八に圧縮できます。さらに四に圧縮可能です。ここまでくれば、どんな病気とその対応は掌中の物のように捉えやすくなります。さらにそれを二に凝縮すれば、現実に何を投薬すべきかはおのずから決まってくるはずです。ところが事は言葉道理に容易にはまいりません。
なぜなら最後に残った二つのうちの、どれを選ぶかは、選ぶ人の全英知に委ねられているからです。名著『傷寒論考述』の著者剣持久師は、この最後の決定に迷ったときに、自分の下したい結論の反対の断定を下すことによって、起死回生の効果をえたことが少なくなかった、と述懐されていました。それくらい死線を彷徨している病人の現実の症状は変幻極まりないものであって、定石道理にはいかないのです。定石や作戦は必要なのですが、機に望んでは神出鬼没の柔軟な判断力が必要というわけでしょう。
そういう点から言って、『易経』を学ぶ場合にも、六十四卦の説明や生年月日との対応からのいろいろな解説は、どんな「易に関する書物」にも書いてあり、一応目を通すことも必要と思いますが、そのような形だけの知識ではでなく、現実の自分の生活にどう活用するかとなると、「易書」だけの形式的知識だけでは間に合いません。そこで私の提案したいことは、この文章のはじめに述べた『宇宙巡礼』『歓喜の書』『傷寒論再発掘』『易と漢方・経世済民の思想』『救急漢方の考え方』(以上、いずれも東明社刊)がよき参考になるとお薦めできると考えます。
なお異色な易入門書として、桜沢如一『無双原理・易』(日本IC協会刊)は一見の価値があります。また武市雄図馬『易と自然科学・運命の研究』(東明社刊)は本格的に易に関心をもたれる方には必読の書です。易についてこれほどの努力を傾けて一書にまとめた計り知れない情熱に敬意を表せざるを得ないような書です。
これらの本は精読すれば万書にまさる英知をもたらしてくれると思いますが、とにかく一読し、書名を記憶するだけでも計り知れない暗示を与えてくれるはずです。
はじめに「乾」の卦について書きましたが、それが易経第一番目の卦であり、全体を総括する意味があるので、この卦を語ることはそのまま易経全体を把握するのにたいへん都合がよいと思ったからです。
ついでに「乾」の卦の成立を示しますと陽の爻(こう、横棒―で示す)が三つ重なったものが、二つ重なったもの、陽の陽とか重陽という表現をしている。爻のうち横棒--は陰を示し、陰と陽の爻の組み合わせで、すべての卦が成り立っているわけです。しかしこういう易の基本についてはどの易書にも示されていますので、それによっていただきましょう。
『易経』が占いや自己判断に役立つのは、人間はとかく目先の我欲に支配されやすいものです。相当教養があるという人でも緊急の自己判断を迫られると、客観的な視点が失われてしまうものです。そして最も自分が得すると思う選をするものなのですが、じつはそれが災いのもとであることが多いのです。 ところが『易経』の指示はどんな卦が出てもそれに従えば、正しい道を示してくれるようになっているのです。
あらゆる卦に「乾」の卦の精神が現われているのです。要するにいかなる場合にも天地自然の調和ある姿が見本になるということです。
そこで今度は「困」の卦を取り上げてみましょう。
「困」は上が兌、下が坎
困は窮する、そして窮すれば通じるのです。あるいは窮しなければ通じないということかもしれません。しかし宇宙、自然の真理は「乾」の卦に現われていると思えば、人間の側が自己偏執を脱して天地・自然の公理に従えばかならず道は開かれるということです。
六十四卦の最後に「既済」坎上、離下と、「未済」離上、坎下、という対照的な卦があります。二つの卦の意味が、常識的判断とは逆であるところに『易経』の精神が現われているように思われ興味がわいてきます。
「既済」はすべて叶ったのだから良い卦のように、「未済」は何事も成っていないので努力しだいで何でも可能な将来を示しているから、良い卦であり、「既済」はすべて整ってしまったのだから悪い卦だと教えているのです。
ここにも人間はとかく狭い我欲に走る危険があるので、いかなる場合にも天地・自然の公理に従うことが、一見自分に不利のように思われるかもしれないが、それが正しい道であり、自分を有利に生かす道であるということを示しているのです。
藤原博士が『宇宙巡礼』その他の著書のなかで繰り返し「公理」や「黄金比」の問題について強調されているのも同じ意味であり、実藤氏が『歓喜の書』のなかでゼロの真実を明らかにしたのも同じ意味であり、『易経』の精神を近代用語に置き換えたことになると思うのです。
易の考え方は陰陽思想です。認識の対象をまず全体(乾)として捉え、その全体を陰陽として、すなわち乾坤(天地)として認識することです。この認識は全体を二分することを意味しますが、この分割は頭上での分割であって現実に分割することではありません。第一宇宙などを現実に分割することなどはできないことは分かり切ったことです。この現実に分割できない対象を頭上分割することを『歓喜の書』では分節といっているのです。単純に分割といっていますが、それにも二つの方法があることをはっきり区別する必要があります。現代科学はその区別を見失って、すべてを分割で処理しようとするところに混乱が生じているのです。分割にも陰陽があるのです。分割が陽なら分節は陰です。
科学が現実を正確に認識する方法として数学的把握のできることに限定したとするなら科学は自らの認識範囲を限定したわけです。ところが宇宙の極大、極小世界はいかなる科学的方法をもってしても捉えることのできない部分のあることを認めざるをえません。その場合にどうするかという問題。それとこの宇宙には原理的に数として捉えることのできない存在があります。ひと繋がりで何処にも切れ目のないような存在は切って数えることは原理的にできない。それをどうするか。そのような場合にも人間の頭脳の働きによって脳内分割する方法があるわけです。
分割できない対象は分節という方法をもって分割に代用できるわけです。しかし両者は全く異なる意味を持ちます。現代の科学者は分割できない対象を拒否するか、分節によって闊達な見解を展開しながら、分節していながら分割と誤認しているのです。両者は意識して駆使しないと混乱を招くことになります。
現代科学者が自らに数学的に捉えられる世界のみを実在と主張するなら、その世界はどんなに正確に捉えることができても、それははじめから自己限定した世界であり、それ以上の広い世界の存在に否定的になり、その数学的外の世界を論ずる資格のないことを自認したことになります。
分節的方法ならいかなる分割も分類も自由自在です。易的分割、分類はこれにあたります。したがってどこかで独走に歯止めをかけなければなりません。そこで全体として自己矛盾をきたさないような配慮が必要になります。そこで易では分割と統合という操作の中で自己撞着に陥らぬように配慮することになりますが、絶対的保障はありません。そこで現代科学的分析方法は十分に参考になるわけです。正しく表現すれば、科学で把握できる範囲は科学的方法に従い科学では原理的に認識不可能な分野については、その延長として、類推的に分節的方法を採用するということで、この方法は最も現実的であるはずです。現代科学者がこれに不満というなら、それはないものねだりの小児性というしかありません。
山田久延彦氏が『虚構と瞑想からの超発想』のなかで、次のように述べています。
「人類の無意識に刻みこまれた深層意識こそ超発想の源である。
人間は発想が貧困であるから、たかだか実現可能なことしか思いつかないの
だ。人間が考えることはすべて可能である。」
科学者が科学的方法を尊重することは当然としても、科学を実践する前に遠大な着想を持つことがより重要ではないでしょうか。そうでなければ徒らに重箱の隅をほじくるような自縄自縛に陥るのではないでしょうか。易学的認識はそのような視野狭窄を避けるには最も格好な指針といえます。
一般に使っている数に二つの種類があることに気付いている人は極めて少ないようです。それを指摘されたのは『歓喜の書』の著者実藤遠です。これも陰陽に分けて考えれば判然です。
普通に使っている四則数を基礎とした代数や微分・積分などの数学体系は陽数ということができます。これに対し一繋がりで分割することのできない現象があり、その大きさを理解するために四則数をもって現実処理はしていますが、もともと分割できないものを頭上で分割しているわけでこれを分節といい、これは陰の数列というべきだと思います。これを区別することなく、同列に論じるところに今日の様々な混乱の基になっているのです。
陰の数列がフィボナッチ数列です。同じように数として扱っても両者は全く異なる側面を持っていることをはっきり認識すれば、現象の現実把握はより正確を期し得るものと思います。フィボナッチ数列というのは次のような数展開です。
0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55・・・とどこまでも展開しますが、それぞれの数は単独に存在しているのではなく前後の数との関連においてのみ存在できる数ですから、数というより数列というべきです。そしてこの数はその前の数を足した数、或いはあとの数を引いた数がその数というように前後との関係においてのみ存在できる数です。前数5を後数8で割れば 0.63 、13で割れば 0.62 にまた後数8を前数5で割れば 1.60 13÷8= 1.63 というように、前者はほぼ0.62または0.63に、後者では1.62または1.63くらいの数値を示します。
これらの数値は黄金矩形の長遍と短遍との関係に現れる数値と同じであり、フィボナッチ数列は黄金比を体現しているといえ、同形の共鳴とも密接に関係があり、偶然と見える奇跡現象の把握には欠かすことのできない数列であり、人間の現実生活において超常現象を招来するための秘訣といえるのです。
易という言葉は不易という意味もあり、物事は視る人の考え方次第でどのようにも解釈できるということです。
世の中は不断に変りつつあり、変らぬ物はありませんが、その中にも一貫して変らぬ姿を見ることができます。またうんざりするほど停滞し変化の乏しいこの世相の奥に新時代の激流が潜んでいることがあります。その底流にあるもの、易の中に不易を、不易の中に易の姿を見いだす指針となるのが『易経』でしょう。いかなる場合にも陰陽両端からの視野を働かせることが重要です。
そこで考え付いたことは奇跡についてです。我々は毎日忙しく立ち働きながら思うことが叶わぬことを恨みがましく思うことが多いと思います。そしてこの世に生まれてきてしまったので止むなく生きている。或いは家庭や他人との義務を果たすため、義理を尽くすために生きていて、そのまま死ぬのを当然と心得ている人が大部分のように思えてなりません。どうしてもっと「生きがい」を求めないのでしょうか。また今日生きていることが「歓喜いっぱい」という生き方のあることに、なぜ気がつかないのかと思います。要するに考え方次第ということになります。
「奇跡」と「偶然」と「必然」とは同じもの、ということを主張しているのが『偶然革命』の著者、、橋藤九郎氏です。その要旨はこの世には「時間空間のある世界」と「時間空間のない世界」があり、前者は後者の一部分として存在している。そして「時間空間のない世界」のことを「公理の世界」と呼ぶべきだといっています。
たとえばリンゴが枝から落ちる。これは引力の作用といっているが、この現象は世界の何処でも変らぬ法則だからこれは「公理」である。「公理」はその他にも沢山ある。たとえば1+1=2、二点間の最短距離は直線である、もそうである。水は低きに流れるもそうです。そういう何処でも変らぬ真理を公理という、というわけです。
さて雨が山に降り、河水となって流れる。山の麓からの涌き水も川に合流する。家庭用排水も工業用水も、一緒になってやがては海に合流する。海には直接天空からの降雨による水もある。これらはさまざまな過程を経、海に至る時間を異にしている。それらは一つ一つ見ると奇跡や偶然のように見えるが、海の水となる点はすべて必然といえるというのです。奇跡や偶然は時間のずれた必然であるというわけです。
見方を変えてフィボナッチ数列による渦とらせんについて考えてみましょう。その渦は小さな渦も大きな渦も時間的なずれはありますが、一繋がりの円形の重なったもと見ることができます。
ところがここに『歓喜の書』236頁、図30に「自然界におけるhの実体」として、大橋正雄氏の『波動性科学』からの説を紹介しています。それによりますと、半径の大きい場合も小さい場合も、その1回転に要するエネルギー値は同じだとしているのです。
これは奇跡の存在することの証明というべきではないでしょうか。
第一にこれらの円形は黄金比による一繋がりであるということ、エネルギー値が同じということ、黄金比の同じことは共鳴の原理に従っていること、どんな角度から考えても、これらの大小円形は同じということになります。そうすると何か事をなす場合、その置かれた立場を徹底的に実現することは、それ自体で、とてつもない大事業を完遂することにつながっていくということを意味します。それは奇跡そのものではないでしょうか。
橋藤氏が『偶然革命』のなかで奇跡は必然と同じと指摘されたことと同じ意味になりませんか。
易の分類法は陰陽であり、その最も分かりやすい表現が八卦ですが、陰陽観の必然としてその見解は静的になります。そこでこれを動きとして捉えようとする見解が生ずるのは必然の勢いです。そこで発生したのが五行説であり、両者を統合して陽陰五行説に発展しました。
すると易の八卦観にも変化が生ずるのは必然です。ここに現れたのが九星気学です。十二支占いは、八卦から九星気学になってより動的になりました。『宇宙巡礼』において藤原肇博士が動的幾何学という表現をしていますが、九星気学になって易の統合的視野は八卦の枠を超えて動的微細に及ぶことになったといえます。そういう視点から、九星気学と『宇宙巡礼』を重ねあわせて見るときに興味つきないものがあります。藤原博士は同書のなかで「魔法陣の入り子構造」や「鬼門遁甲」などに触れておりますが、後者などは中国古代の戦略書として深い洞察を含んでおり、易の奥義としてさらに研究の余地があるように思います。
ともかく現代科学の一層の進歩に加え『宇宙巡礼』『歓喜の書』などを統合的に体得できる現代以降の人間にとって「奇跡」は「必然」といえる時代に入ったものと確言できます。それこそ「歓喜の時代」の到来です。
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