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詩仏・王維
中国の自然詩の伝統を振り返りますと、陶淵明と謝霊運を取りあげないわけにはいきません。陶淵明は、中小地主として田園の中にひっそりと生きる自己を見め、多くの自然詩を遺しました。また、謝霊運は江南の豊かな自然風景をみずみずしく詠っています。こうした先人たちの自然詩の伝統を受け継ぎ、田園の美を詠った自然詩の世界を完成させたのが王維なのです。
王維の生きた時代は、中国の詩の黄金時代である盛唐の時代と重なります。そして、王維は詩以外にも山水画をよくし、仏教、音楽などの造脂も深い文化人でした。
また、王維は山荘を手に入れ、公務の余暇にそこで琴を弾じ、詩を詠み、名僧と仏教理論について議論するという芸術と信仰の陶酔の日を送っています。
こうした王維の生き方は、羨ましく思う反面、何か物足りなさを感じさせます。
それは、王維と同じ時代を生きた漢詩の世界の最高峰である李白と杜甫の二人と比べてみるとその辺りがはっきりします。つまり、権力とは無縁であった李白や杜甫には、野にくだった自由人としての逞しさがありますが、官僚の地位を捨て切れなかった王維にはそうしたものがなく、何か弱々しさを感じさせるのです。
しかし、王維の生き方はともかく、李白・杜甫と並び、盛唐の三鼎と評価されるだけのことはあり、その詩は鑑賞するに値します。
王維の作品
九月九日憶山東兄弟 九月九日 山東の兄弟を憶う
獨在異郷爲異客 独り異郷に在りて異客と為り
毎逢佳節倍思親 毎に佳節に逢いて倍ます親を思う
遙知兄弟登高處 遥かに知る 兄弟 登高の処
偏插茱萸少一人 偏く茱萸を挿して一人を少けるを
訳
ただひとり見知らぬ土地の見知らぬ旅人の身の上。
めでたい節句のめぐりくるたび、身内のことがひとしおしのばれる。
今ごろ故郷では、兄弟して高い処に登ったとき、みんな茱萸を頭にさし、ひと
りだけ足りないと言っていることが、はるか遠くから察せられる
解説
これは王維17歳のときの詩です。王維は家族のもとを離れ、一人長安に遊学していたのでした。
編集部も十代のころに日本を“脱藩”し、3年近くの歳月をかけて世界放浪の旅を体験しています。王維と歳の頃も同じであり、王維の家族への想いが痛いほど伝わってくる詩です。
異郷ではホームシックに襲われることが度々あるでしょうが、それ以上に旅で得るものは大きいのです。脱藩道場では、若い読者に長期の海外武者修行を強くすすめる所以です。
送元二使安西 元二の安西に使いするを送る
渭城朝雨潤軽塵 渭城の朝雨 軽塵をうるおす
客舎青青柳色新 客舎 青青 柳色新たなり
勸君更盡一杯酒 君に勧む更に尽くせ 一杯の酒
西出陽関無故人 西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん
訳
渭城の朝の静かに降る春雨に、街頭すじに舞っていた軽い塵もしっとりとしずまり、
旅館のあたりの柳の並木の新芽もひとしお青々として色あざやかである
さあ、どうかもう一杯の酒を飲みたまえ
こから西に進んで陽関を出てしまえば、親しく酒をくみかわすべき昔なじみの友人もいないであろうから。
解説
この詩は、友人との別離の詩としてあまりにも有名です。編集部も海外で幾度も友人・知人との別れを体験しました。二度と会うことがないままに、あの世に旅たった人生の先輩もいます。
編集部にとって、最も感慨深かった別離は、アルゼンチンの某田舎での別離であったような気がします。その田舎は、Nogoya(ノゴジャ)といい、アルゼンチンの大草原にあります。まるで、大草原の海の孤島という感じでした。
その田舎には、Silvia Bolson(シルビア・ボルソン)という、ロンドンのイタリアレストランで知り合った友達の実家がありました。
当時、友人である彼女は未だロンドンでしたが、彼女のご両親がハポン(日本)から来た何処の馬の骨か分からない編集子を息子のように扱ってくれたのには驚きました。
ノゴジャでは数々の楽しい想い出があります。彼女の妹たちとキャンプに行き、ライフル銃を撃った体験や、天空一杯に広がる南半球の星は息を飲むほどでした。
そして、二週間は瞬く間に過ぎ、いよいよ今日でお別れという朝、彼女の身内は勿論、近所の人たちが総出で見送りに来てくれたのです。彼女のお父さんが涙ながらに「元気でな。気をつけるのだぞ」と当時19歳だった編集子に別れの言葉をくれたのでした。
まだ、彼女のお父さん、お母さんは健在だということが去年の彼女からのクリスマスカードで知りました。本当に永久の別れにならないうちに、心の故里であるノゴジャを再び訪れたい気持ちで一杯です。
鹿柴 鹿柴
空山不見人 空山 人を見ず
但聞人語響 但だ 人語の響きを聞く
返景入深林 返景 深林に入り
復照青苔上 復た照らす 青苔の上
訳
人かげの見えない静かな山
聞こえるのは、話し声のこだまだけ
雄飛の光が深い林にさし入り、青い苔のあたりを照らしだす
解説
王維の自然詩の代表作といわれています。山に入ることが多い読者には、この詩の心がよく理解できるのではないでしょうか。
時々、独りで山道を歩くのもいいものです。
竹里館 竹里館
獨坐幽篁裏 独り幽篁の裏に坐し
彈琴復長嘯 琴を弾じ 復長嘯す
深林人不知 深林 人知らず
明月來相照 明月 来たりて相照らす
訳
静かな竹林に一人坐り
琴をひいてはまたながながと口笛をふく
誰も知らない深い林だのに
明月は照らしてくれにやって来る
解説
埼玉県・飯能市の山奥に竹寺という寺があり、ときどき行きます。その寺の竹林は、この詩を思い起こさせてくれます。
息婦人
莫以今時寵 今時の寵を以て
能忘舊日恩 能く旧日の恩を忘るる莫からんや
看花滿眼涙 花を看る満眼の涙
不共楚王言 楚王と共に言わず
訳
今かわいがられているからといって
昔の愛情を忘れることはできましょうか
花をながめる眼はいっぱいの涙
楚王さまとは口を利こうともしない
解説
この詩は、王維が若い頃のものでしょう。若い頃の王維の詩には、世相を諷刺するような作品が多いのですが、これもその一つのようです。
この詩の背景を『王維詩集』(小川環樹・都留春雄・入山仙介選訳 岩波書店)から引用しておきます。
息は春秋時代の小国の名。今の河南省南部の息県にあった。
楚の文王が息を滅ぼし、君主の妻を連れて帰って後宮に入れ、
二子を生ませたが、王に向かって一言も物を言わなかった。
理由を問われて「一人の女が二人の夫に仕えるはめになって
死ぬこともできないのが恥ずかしいからです。」と答えた。
「左伝」荘公十四年に見える。なおこの詩について唐代の詩
に関する説話集「本事詩」に次のエピソードが見える。玄宗
の兄寧王憲は色好みで、邸の近くの餅屋の女房を見そめ、権
勢に物を言わせて召しだし、一年ほどしてから前夫を呼んで
対面させた。女は涙を流すばかりで何も言わない。その場に
は当時の一流の文学者十数人が居合わせたが、みな悲しみに
打たれた。王はその場の情景を詩にするよう命じた。王維は
その時最年少だったが、まっ先にこの詩を作った。他の者は
誰も後を継がなかった。寧王はこの詩に動かされて、女を前
夫のもとに帰した。あるいは王維自身が権力者に愛人をうば
われた体験が伏在しているのであろうという説もある。
雑詩三首 雑詩三首
君自故郷来 君 故郷より来たる
應知故郷事 まさに 故郷のことを知るべし
来日綺窗前 来日 綺窓の前
寒梅着花未 寒梅 花をつけしや未だしや
訳
君は国から来たんだね
それじゃ国の事を知っているだろう
君が出発したその日にあれの飾りのついた窓の前の、あの冬の梅の花はまだ開いていなかったかね
解釈
この詩は、1月も末の最も寒さの厳しいときのものです。そうした厳寒の中、一輪の花が咲いている。まさに春の前ぶれです。
読者の中には、春が待ち遠しかった子供の頃を想い出すのではないでしょうか。平静淡白でかつ淡い桃色の梅の花だけがくっきりと浮かんでいる墨絵のような世界を想像させてくれる詩です。
名著集
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