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『道徳経』
『老子書』または『老子道徳経』とも呼ばれ、僅か五千余言から成る書。通行本はこれを81章に分け、1〜37章を上篇、38〜81章を下篇とする。『道徳経』と呼ばれる由来は、上篇が“道”という文字ではじまり、下篇が“徳”という文字ではじまっているため。
用語、文体などから見て、戦国時代(BC401〜221)以降の作であことは疑う余地がない。思想的には戦国時代の楊朱・栄けん・尹文・田駢・慎到・荘周ら、後に一括して道家に分類されるようになった諸学派の説の混在が認められるところから、主として道家に属する人々の思想を集約して体系づけ、老子の名に仮託したものと考える説が有力。しかし、何人の手によって成った書であるかは明らかでない。
“道”を体した聖人のみが理想社会を実現し得るとするその政治論は、やがて法家の説と結んで君主独裁制の確立に寄与したと評され、また力の濫用を避けて戦わずして勝ことを眼目とするその軍事論には、『孫子』の兵法との関連性が指摘される。
老子
老子(老たん)とは、春秋時代(BC770〜402)末期の隠者で、孔子に教えを授けたこともあるといわれる人物。一説に姓名は李耳、字がたんであると伝われている。楚の出身で周の王室に仕えたが、周の徳の衰えを見て、函谷関(老子出関図を参照)を出、そのまま行方を絶ったという。(以上、『史記』・「老子伝」による)
しかし、老子の実存を裏付けるに足りる文献資料はなく、寓話的存在であるという疑いが強い。仮に老子が実存の人物だとしても、書物としての『道徳経』の作者が老子である可能性はまずないものと思われる。
『道徳経』をインターネットで読む
電脳仙人倶楽部
脱藩道場流 老子講釈
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(第11章)
三十輻共一轂 三十の輻、一つの轂を共にす。
當其無有車之用 其の無に当たりて、車の用有り。
挺埴以爲器 埴を挺めて、器を為る。
當其無有器之用 其の無に当たって、器の用有り。
鑿戸B以爲室 戸ゆうを鑿って以て室を為る。
當其無有室之用 其の無に当たって、室の用有り。
故有之以爲利 故に有の以て利を為すは、
無之以爲用 無の以て用を為せばなり。
第11章を目にするたびに思い出す人物がいます。本郷七郎さんといい、昭和40年代前半のある日、用があって銀行に行ったときの話です。銀行の窓口で待っている間、たまたま手にしたのがヨーロッパのスイスの街並みやアルプス山脈の神々しいグラビア写真集でした。そして、本郷さんはその写真を眺めているうちに無性にヨーロッパに行きたいという思いに駆られたのです。そして、本郷さんの夢は実現しました。しかし、数カ月間ヨーロッパを廻って帰国するはずが、「流れる雲を追って地の果てまで」と旅を続けているうちに、結局7年半の海外放浪の旅になってしまったのです。
見方によっては、本郷さんの7年半は、自分の出世に結びつくわけでもないし、また、長年日本を留守にしていたため、なかなか自分の国に馴染めないという、いわば、自己危機に陥って、苦しむといったさんざんな目に会っています。
一流大学を出て、一流企業に就職することを人生の最大目標とする人たちから見れば、なんという無駄な生き方だと捉えられるのではないかと思います。
しかし、本郷さんにとっての7年半が、かけがえのない体験として、今日の本郷さんの人生に活きています。
必死になって日本社会に復帰した本郷さんは、その後、ガムシャラに仕事に励み、現在では小さいながらも一つの会社の専務取締役を担当するまでになりました。また、最近は心にゆとりができ、7年半の間撮りまくった写真が、今までは辛くて見るのも嫌だったのに、今では写真を眺める喜びが出てきたそうです。
若い頃は、本郷さんのように空白の期間を持つことは大切なことです。7年半という期間はともかく、脱藩道場でも若いメンバーに少なくも1年間程度の海外武者修行をすすめる所以です。老子流に言えば、無用の用のすすめということになりそうです。
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(第47章)
不出戸知天下 戸を出でずして、以て天下を知る。
不窺C見天道 まどを窺わずして、以て天道を見る。
其出彌遠其知彌少 其の出づること彌遠ければ、其の知ること彌尠なし。
是以聖人不行而知 是を以て聖人は、行かずして而も知り、
不見而名不爲而成 見ずして而も名づけ、為さずして而も成る。
現在は第三次革命である情報革命が静かに進行しつつあります。そして、第二次革命である産業革命が終焉を迎えようとしており、その名残りである旧秩序がガラガラと音を立てて崩れています。これから到来する情報集約型社会を生き抜くためには、情報革命に対する見通しをしっかりとしたものにする必要があるでしょう。特に、日本は情報革命という大潮流に翻弄されているため、混乱に陥っていますが、こういう時こそ老子流の無欲な目で大潮流を見つめるべきなのではないでしょうか。そういう老子的視野を身につける一つの方法として、メールマガジン【日本脱藩のすすめ】第25号で[海外の雑誌・新聞を読む]を執筆した次第です。
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(第66章)
江海所以能爲百谷王者 紅海の、能く百谷の王為る所以の者は、
以其善下之 其の善く之に下るのを以てなり。
故能爲百谷王 故に能く百谷の王と為る。
是以欲上民 是を以て民に上たらんと欲すれば、
必以言下之 必ず言を以て之に下る。
欲先民 民に先んぜんと欲すれば、
必以身後之 必ず身を以て之に後となる。
是以聖人 是を以て聖人は、
處上而民不重 上に処りて而も民は重しとせず。
處前而民不害 前に処りて而も民は害とせず。
是以天下樂推而不厭 是を以て天下推すことを楽しんで而も厭わず。
以其不爭 其の争わざるを以て、
故天下莫能與之爭 故に天下能く之を争うも莫し。
果たして、現在は帰服したくなるだけの政治家・官僚がいるのでしょうか。逆に老子の理想とする指導者と対極にある人物をあげよと言われれば、幾人でも出そうです。
一例として、大蔵官僚であり、『ミスター円』で知られている榊原英資・財務官を引き合いに出してみましょう。
榊原財務官は昭和六十年から二年間、理財局国庫課長をしていて、六十一年から翌年にかけて発行された昭和天皇ご在位六十年記念金貨(十万円)の責任者だったのですが、この金貨が詐欺もいいところで、金の含有量額面の半分以下の二十グラム。そんな金貨が一千万枚も発行されたのです。国は国民から詐欺的手法で一兆円を吸い上げてホクホクだったが、悪貨をつかまされた国民は泣くに泣けないということになりました。これでは詐欺師と何ら変るところがありません。
その後、この記念金貨の偽物が出回るという事件がありましたが、本物よりも金の含有量が多い偽物であったために、結局、うやむやになったという経緯がありました。偽金貨をつくった犯人の方が“良心的”ということなのでしょうか。
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