三国志演義

    『正史・三国志』と『三国志演義』

     『三国志』(紀元290年頃成った書。以後、『正史 三国志』とします)を要約すれば、紀元2世紀末から魏、蜀、呉の三国が中国を三分して争い、ついには晋の天下統一に至るまでを記述したものです。中国正史の中では、良書のひとつに数えられている史書であり、かなり高い評価を受けています。
     しかし、現代のわれわれが手にする『三国志』は、ほとんどが明代の羅貫中が書いた小説、『三国志演義』(以後、『三国志』とする)です。『三国志』は、『正史 三国志』より千年も後の1494年頃成ったといわれる書なのです。ここで『三国志』は、『正史 三国志』を平易に書き改めたものと思っていただければいいでしょう。
     また、それ以外の『正史 三国志』と『三国志』との違いとして、一般にわれわれが読む『三国志』は、蜀の劉備などを善玉扱いにし、魏の曹操を徹底的に悪玉扱いにしているのが特徴です。これは南栄の朱熹(朱子)の、劉備こそ漢の血統を継ぐ(宗族)者であり、国をたてるべき正統の人間であるという主張、すなわち朱子学の大義名分論にもとづいたものでした。このように蜀を正統とした朱子学が長く官学となったことから、蜀の正統性が一般化したものなのです。ここで朱子が正当性に固執する点については、中国社会の基底をなす血縁、すなわち宗族の思想が入りますので理解しづらいかもしれません。なぜなら、日本社会は血縁社会ではないからです。
     いずれにせよ、『三国志』以前は必ずしも曹操が絶対の悪玉というわけではなかったのです。つまり、そのような価値判断は、『正史 三国志』にはなかったという点に注意しておく必要がありそうです。『正史 三国志』では、善玉と悪玉の角逐というものを描いていないとどころか、曹操を一角の人物として描いていることを強調しておきたいと思います。


    『三国志』から学ぶ

     この本は雄大な構想で痛快きわまる大ロマンを描いています。稀世の大軍師、諸葛亮孔明が、死を覚悟して、若き蜀帝・劉禅に献じた「出師の表」。これは胸を打つものがあります。そして、諸葛亮孔明が魏の司馬仲達と雌雄を決する戦い。戦略・戦術の限りを尽くし、自国の存亡を賭けて相戦うこの二人の名将の壮烈な戦い、非常に読みごたえがあります。こうした天下統一の野望を胸に、数々の英雄たちの栄光と挫折を描く『三国志』は、単なる小説の域を越え、戦術・戦略、史眼、人間の心理といったものを教えてくれるような気がします。ここに、インテリジェンスを磨く秘訣のひとつに『三国志』をはじめとする、中国古典という存在があるのです。また、これらの古典を通じて、脱藩人にとって最も大切な誠実さ、見識というものが知らず知らずのうちに身についてくるのです。

    ここで、『三国志』の叡智を幾つか取りあげてみましょう。

    ■子治世之能臣、乱世之姦雄
    ・子は治世の能臣、乱世の姦雄なり

    [通釈]あなたは、平和な時代であったなら有能な家臣になるだろうし、乱世にあっては悪知恵にめぐまれた英雄になるであろう。

     これは曹操(武帝)のことを述べたことばです。曹操は若くして人並み外れた才能を持ち、戦略・戦術にも秀でていた人物です。しかし、素行が良くなく、人は若き日の曹操を大人物とは見ていませんでしたが、曹操とつきあっていた子将は本当の曹操の人となりを見抜いていました。それが、「子治世之能臣、乱世之姦雄」ということばになったのです。


    ■太祖運籌演謀、鞭撻宇内。攬申商之法術、該韓白之奇策、官方授材、各因其器、矯情任算、不念旧悪。終能総御皇機、克成洪業者、惟其明略最優也。抑可謂非常之人超世之傑矣。

    ・太祖、籌を運らせ謀を演べ、宇内に鞭撻す。申・商の法術を攬り、韓・白の奇策に該え、官方材を授け、おのおのその器により、情を矯め算に任せて、旧悪を念わず。ついによく皇機を統御し、よく洪業を成すものは、ただその明略もっとも優ればなり。そもそも非常の人・超世の傑と謂うべきなり。

    [通釈]太祖(曹操)は、策略をめぐらし、計略をおこない、天下を叱咤し、(戦国時代の法言えである)申不害・商鞅の法術をとっておこない、(漢の名将である)韓信や(戦国秦の名称である)白起の奇策を備え、技術・才能のある者を、おのおの器量に応じて官につけ、私情をおさえて理性にうったえ、古い失敗を心にかけなかった。ついに最高の権力をにぎり、大業をなしとげることができたのは、ひとえに太祖の賢い計画がもっとも優れていたからである。そもそも、常にはいないような人物であり、世を超えた傑物というべき人物である。

     最初に目をひくのは、太祖の適材適所についての考え方です。今日の日本にとっての最優先事項は、日本を導いていくリーダーの発掘とその活用にあることを考えるに、現在の日本の“指導者”と言われている人たちに『三国志』を読んでもらい、己れが老害をまき散らしている非を悟り、一日でも早く優れた人材とバトンタッチしてもらいたいものです。
     ところで、上記の「太祖の賢い計画」とは戦略思考と密接に結びついており、戦略思考ができるようになるためにはインテリジェンスが要るということを、脱藩道場編集部では改めて主張しておきたいと思います。


    ■御軍三十余年、手不捨書、昼則講武策、夜則思経伝。登高必賦、及造新詩、被之菅絃、皆成楽章。

    ・軍を御すること三十余年、手に書を捨てず、昼はすなわち武策を講じ、夜はすなわち経伝を思う。登高しては必ず賦し、新詩を造るに及びては、これを菅絃に被らしめ、みな楽章を成す。

    [通釈]軍を統率すること三十余年の間、手から書を離すことなく、昼は兵法書をしらべ、夜は儒教経典を探究した。(九月九日に山で酒宴を開く)登高の行事に際しては必ず詩を作った。新しい詩ができると、菅絃に合わせて歌った。それがすべて正しい韻になっている。

     自己啓発のすすめです。日々成長していこうという気構えがない人には、脱藩修行は無理だから、諦めなさいと忠告することにしています。  補足として、武帝は政治家として、詩人として、学者として、いずれにおいても一流であったことを忘れないようにしたいものです。


    ■死諸葛走生仲達

    ・死せる諸葛、生ける仲達を走らす

    [通釈]死んだ諸葛が、生きている仲達を走らせた

     有名な句であるというよりも、『三国志』のなかで最もよく知られた逸話ではないかと思います。最後の最後まで、諸葛亮孔明は古今東西類をみない大軍師でした。


    ■儒生俗士、豈識時務。識時務者在乎俊傑。

    ・儒生俗士、あに時務を識らんや。時務を識る者は俊傑に在り。

    [通釈]儒教を学んでいるだけの者や見識の低い者に、いまがどういう時代なのかを読みとり、そのなかで何をなすべきかといったことがどうしてわかろうか。それは俊傑といわれる人でなくてはできないことなのだ。

     脱藩道場編集部がここしばらく中国古典シリーズを読者の手許にお届けしている理由のひとつに、この見識にあります。明治時代の日本人に見識の高かった人物が多かったのも、古典を読んで古人の智慧に学ぶことを通じ、見えないものを読む訓練といった修行を怠らなかったから他になりません。
     そして、時代の潮流を読みとることができる人は、例外なくインテリジェンスを身につけています。


    ■誠宜開張聖聴、以光先帝遺徳、恢弘志士之気、不宜妄自菲薄、引喩失義、以塞忠諫之路也。宮中府中倶為一体、陟罰臧否、不宜異同。若有作奸犯科及為忠善者、宜付有司論其刑賞以昭陛下平明之理、不宜偏私、使内外異法也。

    ・まことに聖聴を開張して、もって先帝の遺徳を光かし、志士の気を恢弘すべし、妄りに自ら菲薄し、喩えを引き義を失いて、もって忠諫の路を塞ぐべからざるなり。宮中・府中はともに一体たり、臧否を陟罰するに、異同あるべからず。もし奸をなし科を犯し、および忠善をなす者あらば、有司に付してその刑賞を論じ、もって陛下の平明の理を昭かにすべし、偏私して、内外をして法に異にせしむべからざるなり。

    [通釈]何とぞ心広く下々の意見をお聞きになって、先帝の遺徳を輝かせ、志士の勇気を振るい起こすようにして頂きたいのです。みだりに軽薄なことをいい、不当なたとえをひいて、忠言の未知をふさぐようなことがあってはいけません。朝廷も政務所もともに一体となり、善人を昇進させ悪人を罰し、不公平があってはいけません。もし悪事をはたらいて法をおかした者、また忠義な善行のある者は、役人にまかせて、ふさわしい刑と賞とをあたえ、これによって陛下の公平で明らかな裁きを示されるのがよい。えこひいきをして内と外で賞罰に差があってはいけません。

     諸葛亮が大遠征に進発するにあたり、劉禅(武帝の子)に上奏文を奉呈しました。この上奏文こそ、有名な「出師の表」です。これは、誠忠の情のあふれたものと知られ、前後二回のものがあります。上記は「前出師の表」です。
     この上奏文に書かれている内容は、上に立つ者の心構えの文といえるでしょう。そして、こうしたことを上に立つ者に言えるだけの人材が続々と輩出するようでなければ日本は救われませんし、また、上に立つ者もそうした忠告に耳を傾けるだけの器量がないことには、指導者たる資格はないといえます。
     残念ながら、今の日本の指導者と呼ばれている人たちは利のみ追い求め、理を見失っており、醜態を曝しています。こうした老人たちには、一刻でも早く隠居してもらった方が日本のためです。  


    ■吾謂大弟但有武略耳。至於今者、学識英博、非復呉下阿蒙。

    ・吾、謂えらく、大弟ただ武略あるのみ、と。今に至りて学識英博、また呉下の阿蒙にあらず。

    [通釈]自分は、そなたが武辺だけの人物と思っていた。今になってみると学問知識がひろくすぐれていて、もはやかつての蒙坊やではない。

     「呉下の阿蒙」という言葉は聞いたことがある読者が多いものと思います。この逸話は、呂蒙が孫権王に学問をすすめられ、そして励んだ後のものです。ここで、孫権王が呂蒙に忠告したことは以下のようなものです。  

        呂蒙は、呉の孫権に仕えていました。ある日、孫権は呂蒙と
       蒋欽という部下に言いました。「そのほうは、今二人とも要職
       にある。学問をして眼を開かなくてはいけない。呂蒙がこたえ
       た。「軍中にあっては常に多忙に苦しみます。おそらく読書な
       どする暇がありません。」
        このことばは、これに対し孫権が重ねてつぎのように語った
       ことばの最後に出てきます。
        「わたしは、おまえに経書を学んで博士になれというのでは
       ない。少しはいろいろな本を読んで、昔のことを見知ってほし
       いのだ。おまえは多忙だというけれど、わたしとくらべてどう
       だろう。わたしは若い頃、『詩経』『書経』『礼記』『左伝』
       『国語』をひとわたり読んだ。・・・・国をみるようになって
       から、三史(『史記』『漢書』『後漢書』)や諸家の兵法書を
       読み、自分でも大いに役に立ったと思う。おまえたち二人は、
       頭もよいから、学べは必ずものになる。学ばないという法はな
       い。とりあえず『孫子』『六韜』『左伝』『国語』と三史を読
       むがよい。」

     さて、話を「呉下の阿蒙」に戻します。
     「呉下の阿蒙」は、呂蒙が孫権王に学問をすすめられ、励んだあとに出てくるものです。先輩の将軍である魯粛が呂蒙を久しぶりに訪れて、議論を交わしたところ、それまでよりも呂蒙の学識が格段にすすんでいたことに驚いて発したことばです。
     これに対して呂蒙が答えたことばが次です。
    「別三日、即更刮目相待」
    (別れて三日、すなわちさらに刮目してあい待す。)

    これは、男子三日会わざれば刮目すべしという格言です。
     いずれにせよ、呂蒙は既に「呉下の阿蒙」ではありませんでした。呉下の阿蒙とは悪いたとえとして使われています。呉下の阿蒙とは、進歩しない昔ながらの人、学問のないつまらぬ者という意味に使われているのです。
     いやしくも脱藩を志すなら、呉下の阿蒙(進歩しない人)であってはならないでしょう。


    柴田錬三郎の『三国志』

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                 三国志について

        私の時代小説は比較的売れる方らしい。十数年前に書いたの
       を、別の出版社から、カタチを変えて出すと、ある程度の部数
       が出る。返本の山になって、出版社に迷惑をかけたことは、ま
       だ一度もないようである。
        ところが、皮肉にも、私が最も力をこめて書いた小説が、あ
       まり売れない、という現象も経験させられている。
       例えば、「三国志・英雄ここにあり」である。これは、中国文
       学を専攻した私が、行く年も前から書きたい、と心構えができ
       ていたし、「週刊現代」に、えんえんと三年間も連載して、三
       千枚にもなった。私の小説の中では、最大長篇であった。
        講談社出版部も、私の苦労を察してくれて、装幀も造本も立
       派にし、上中下三巻を、それぞれ490円の安さで出版した。
       にもかかわらず、初版(1万5千部ぐらいであったか)だけで
       ピタリと止まり、ついに再版にいたらなかった。翌年、この小
       説は、「吉川英治文学賞」を受賞したが、講談社から、再版す
       るという音沙汰はなかった。
        私は、面白くなかった。同じ頃、別の出版社から地方紙に、
       かなりいい加減に書きなぐった時代小説が出版され、これが、
       どんどん版を重ねていたからである。
        すでに「三国志」は、吉川英治本があったが、私は私なりに
       力をこめて、「三国志」を書いたのである。読んでもらえば、
       満足してもらえる自信があった。
        「三国志」は、どの作家が取組んでも、面白くなる壮大なス
       ケールをもった「国造り物語」である。私は、実はひそかに、
       ベストセラーになることを期待していた。その期待は、まんま
       と裏切られた。
        それ以前、私は、「図々しい奴」という現代小説が、テレビ
       ・ドラマ化され、それが大当たりして、百万部も売れたため、
       翌年は、税金が支払えなくなり、黒字倒産したにがい経験を持
       っている。
        ベストセラーになるのは、必ずしも、うれしいことではない
       ことは、身を持ってあじわっている(経済的観念が乏しいため
       印税が入ると、片っぱしから浪費するせいでもあるが・・・)
        しかし、自分が精魂こめて、三年間も、週刊誌に書きつづけ
       た最大枚数の長篇小説が、さっぱり売れないとなると、
       −−勝手にしやがれ!−−
        と、腹が立つのは、人情である。 
        しかも、「吉川英治文学賞」まで受賞しながら、再版さえし
       ないと、出版元の講談社にまで、難癖をつけたくなる。
        豊臣秀吉や徳川家康の「国造り」など、「三国志」の劉備玄
       徳や曹操の「国造り」に比べれば、スケールに於て全く問題に
       ならない。
        孔明の神算鬼謀は、世界の歴史上、いかなる軍師も遠く及ば
       ない。その策略ぶりをみるだけでも、値打があるはずである。
        劉備玄徳の死後、後主劉禅の凡庸を知りつつ、孔明が出師の
       表をしたためて、死を覚悟して、出陣するくだりは、最大のド
       ラマである。このくだりだけでも、作者は、熱意がこもった。
        愚痴めいたPRになったが、現代の中国を知らんとすれば、
       まず「三国志」を読む必要があると考えるからである。

              (『どうでもいい事ばかり』 柴田錬三郎著)
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     柴田錬三郎の“オヤジ”にあたる、今東光が三国志について語っている記事がありますので、併せて転載しておきます。

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            ☆☆ 吉川英治とその文学について ☆☆

       読者:俺は非常に後悔している。それは吉川英治先生の『三国
       志』を読んでしまったことだ。なぜ、こんなすばらしい本をい
       ままで知らなかったのか、という後悔と、こんなすばらしい本
       を、病気かなにかで退屈で死にそうな時のためにとっておかな
       かったか、という後悔だ。それといって特徴がある文章でもな
       いのに、本に吸いこまれそうに魅力のいる吉川文学、そして吉
       川英治先生について何か聴かせてもいたい。
                   (京都市伏見区 18歳 X・Y)

       今東光:彼の『宮本武蔵』の中で、沢庵和尚の道場なのに、天
       海大僧正の開いている道場だと、説明しているくだりがあるん
       だ。これを読んで、オレはもうあきれたね。天海は天台宗なん
       だ。それを天海大僧正の開いた曹洞禅の道場と書いているんだ
       から、物を知らないにもほどがあるよ。
        『新・平家物語』でも、週刊誌に連載中、ある大学の先生が
       歴史的事実が間違っているのを指摘したら、その章はパッと打
       ち切って話を違うほうにもっていったっていうことがあったそ
       うだ。
        吉川英治の知識なんてその程度のもんでね。オレは馬鹿馬鹿
       しくてとても読む気がしないよ。『三国志』が面白かったとし
       たら、それは原作が面白いからだ。彼のは単なる翻訳で、創作
       じゃないからね。
        大佛次郎に会った時、オレに「来てくれ」と言って、無理に
       自分とこに連れてった。「仏書を買ったから見て下さい」って
       いうんだ。オレは、次々に表紙の字をさっと見て、「これは禅
       宗系統の本」「これは何の本」と分類してやったんだ。「ホー
       ッ、今さんは、字をみただけで全部中身がわかっちゃうんです
       ね」「そりゃあ、オレは坊主だもの」「いや、ただものじゃな
       い」
        それで大佛は、「源実朝を書いたんだが、どうもわからない
       ところがある」って言って、いろいろ質問したので当時の寺の
       組織や構成、階級なんかを詳しく説明してやったんだ。そうし
       たら、「私はそういうことがよくわからないから、そういう箇
       所はボカして書いちゃった。なんで私はフランス語なんかやっ
       たんだろう。仏教やっときゃよかった・・・・」と言うんで、
       「じゃオレみたいに、十万冊も仏書を読むかね。それも旧漢文
       で」って言ってやったら、「やっぱりやらないでよかった」だ
       って。
        これが大衆作家の楽屋裏でね。だから柴錬(柴田錬三郎)が
       怒るんだよ。「吉川英治が国民文学だなんて、ふさげているね
       今さん」って。オレもまったく同感だね。  

                    (『極道辻説法』 今東光和尚) =================================================================


    名著集