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『史記』
日本は古来、中国からその文化、社会制度、儒教、仏教とさまざまなものを取り入れてきた反面、何故かとうとう日本では根を下ろさなかったものもあります。科挙、宦官、纏足、食人などがその代表的なものとしてあげられるのではないかと思います。
その中の一つ、宦官ですが、『史記』を書いた司馬遷は宦官の刑を受けています。『中国の古典名著』(自由国民社)では、その時の司馬遷の心情を次のように述べています。
司馬遷は父のあとをついで太史令(史官の長)となり、歴史の編纂にとりかかった。ところが、非運の敗将李陵を弁護したため、官刑(男根を切断する刑罰)に処せられてしまう。 やがて許されて出獄し、その屈辱に耐えて修史の事業に没頭する。かれは自序のなかでこう述懐している。
「私は、官刑を受けたあと、しみじみ考えた。思うに、孔子は旅で因窮しつつ歴史書『春秋』をあらわした。屈原は追放された長詩の傑作『離騒』をつくった。左丘明は失明して、歴史書『国語』を編んだ。つまり、人間というものは、心にたまる不平不満があり、ままならぬからこそ、過去を語り、未来を考えるのである。」
『史記』の陰影にとんだ表現、するどい洞察、不条理への沈痛な憤りは、ゆえなしとしないのである。
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『中国の古典名著』では以上のように述べていますが、さらに刮目すべき点は『史記』が国家的事業として進められた修史ではなかったという事実です。
『史記』を筆頭にした、二十四史といわれる中国の正史群の大部分が官撰でした。しかし、『史記』は漢の武帝の命令によってつくられたものではなく、あくまでも司馬遷個人の手による作品、いわば私撰の著作であったという点に注目したいと思います。つまり、私撰の著作であるということは、誰にも憚ることなく書いたものであるだけに、非常に魅力があります。陳舜臣さんも同じ気持ちらしく、次のように語っていました。
『史記』のおもしろさは、化粧していないところにある。孔子世家のような化粧があっても、それはきわめて薄く、なまの膚がすけて見える。人間性があらわに出ているところが魅力なのだ。
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これは、『史記』の持つ徹底したリアリズムに由来しているものであることは間違いなさそうです。
その他にも司馬遷の身辺を洗ってみますと、さらに二つの重要な出来事があるのに気がつきます。ひとつは、二十代の頃の董仲舒との出会です。董仲舒は武帝に重用された人物であり、当時の最も有力な思想家でした。その董仲舒と会ったということは、後に歴史家として名を残した司馬遷にとって大変重要な意味を持っていたものと思います。
もう一つの重大な出来事が、司馬遷が二十代の頃に天下周遊の旅を2〜3年間ほどしたところにありそうです。
中国の諺に、「万巻の書を読み、千里の道を行く」というものがありますが、少壮のときから群書を読破し、さらに広大な漢帝国を旅した上で、百三十巻にのぼる膨大な通史『史記』を遺した司馬遷こそ、その諺に値するに最も相応しい人物の一人ではないでしょうか。
インターネットで『史記』を読む
『史記』そのものの素晴らしさについては、実際に本を手にとってもらって直に味わってもらうとして、ここでは、ホームページ【日本脱藩のすすめ】と相互リンクをしている史記関係のホームページをご紹介しておきます。それで、少しは『史記』の世界を味わえるのではないでしょうか。
『逍遥遊館』 史記と三国志の専門ホームページ
『ORII'S WEBSITE』 史記とボクシングという異色の組合わせのホームページ
歴史と史眼
西洋の歴史の父がギリシアのヘロドトスとすれば、東洋の歴史の父は司馬遷であると言っても過言ではありません。そして、この歴史というものに想いをめぐらすとき、脱藩道場編集部で最も重きをおいている本の一冊が『虚妄からの脱出』という本です。
脱藩道場では、常々「文明の次元から物事を眺め、行動しよう」あるいは「史眼を身につけよう」ということを道場方針の一つとしてきました。その由来を『虚妄からの脱出』のまえがきから見い出すことが出来ます。少し長くなりますが、引用してみましょう。
部分を構成するものが、全体として、より上位の次元に位置するものを理解するのは、困難に満ちたプロセスである。だから、その構成メンバーである人間が、社会の状況を同時代の者として客観的に把握するのは難しく、これまで多くの人びとが多くの努力を費やしてきた。
方法論的には、空間的に一定の距離を置いて、第三者の眼を使いながら眺めるのがひとつのやり方であり、もうひとつは、時間的に過去のものとして眺める歴史的なアプローチである。この二つのやり方を統合して、「時・時間」の立場でものごとを観察することにより、自分が生きている同時代をより正確に理解するとともに、将来に継続していく歴史の過程を見通すことはできないものか、と考えてみた。
そして、歴史というものは偶然性を伴うとはいえ、すべてが必然的な過程に支配されて移行するものであり、変化の相としての生成、発展、衰退という過程が実相として普遍性をもっている以上、「時・空間」を次元の展開の中で把えてみることで、突破口は開きうると確信するに至った。四次元座標を構成する時間軸の上に、三次元空間として現われる社会現象を置き、史眼に基づく次元の展開を行うことで、ダイナミックに変化する歴史の断面が相として把えられるのである。
国家国民の問題を世界の次元で眺め、文化の問題を文明の視角から観察するのは、その応用にほかならず、こうすることで、われわれが実像と思いこんでいるものが、実は虚像ではないかと見えまでになったが、それが妄想でないという保証はいまのところ無い。
仮に私の判断が事実を含むなら、日本人がのりこえなければならない対象は日本そのものであり、私の判断が虚妄に支配されているならば、読者は私をのりこえなければならず、いずれにしても、のりこえるべき対象が前途に横たわっているのである。どちらを乗りこえるべきかは、読者に与えられた新しい課題になるであろうが、いずれにしても、日本人は何ものかを乗りこえることによって、虚妄からの脱出をはからなければならない運命にある、ということができるのであろう。
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『虚妄からの脱出』は今からほぼ20年前の1980年に出版された本ですが、今日にいたり、書かれた内容のことごとくが適中してきたのには大変驚かされます。
一つだけ、例をあげておきましょう。それはつい最近、経営のデタラメぶりが明らかになった石油公団です。大方の読者にとって、新聞・ニュース等によって暴露された石油公団の実態はまさに晴天の霹靂だったのではないでしょうか。しかし、その石油公団の今日の姿を20年も前に暗示していたのが『虚妄からの脱出』だったのです。
詳細については『虚妄からの脱出』に譲りますが、ここでは簡単にポイントだけを述べておきましょう。
最初に、石油ビジネスとは如何なるものかという正しい理解が必要です。石油ビジネスといっても、大きく分けてアップストリームとダウンストリームの二つがあります。石油の輸送、精製、販売といったものがダウンストリームに入り、どの国にでも出来ることですが、ことアップストリームとなるとそうはいきません。そのアップストリームも大きく分けて二つの部門で成り立っています。『虚妄からの脱出』では、二つの部門を次のように定義しています。
[開発部門]
さまざまな地質学的なデータを採集し、それを解析しプロスペクト化していく。そして、石油がありそうな場所を確認し、どの地層にどれくらいの量の石油がどういった状態で存在するかを科学的に推定する。また、どのようなアプローチを使えば、最も効果的かつ能率的に石油を発見し、採算性の高い生産に結びつけうるかについて開発プログラムを作り、経済計算に基づいた鉱区買収や試掘計画をまとめること。
[生産部門]
存在が確認された石油をさまざまな応用技術を使って地上に汲みあげる仕事を担当し、生産用井戸の追加掘削や、どのような生産管理をしたら最良かという面で、石油回収にとって効率的な施設を作っていく。またビジネスとして経済性の高い生産体制を保有するために、20年をベースにした生産計画や投資プログラムを作ること。
ここで振り返ってみるに、石油公団とは石油ビジネスの素養をまったく持ち合わせていない高級官僚たちの天下り先であるというのが実情であり、本当の石油のプロは石油公団には皆無に等しかったと言っても差支えないでしょう。
その上、今までに湯水のように使ってきた石油公団への大量の政府資金などは、どこで何に使ったのかがわからないものがほとんどです。
以上、今回『虚妄からの脱出』を取りあげたのは、何故この本が石油公団に限らず、今日の日本の姿をことごとく適中できたかということを読者にお伝えするところにありました。
それは、すでに『虚妄からの脱出』のまえがきに述べられていることですが、今日の世界の潮流、そして将来の潮流を見通す眼力を身につける方法の一つが歴史に学ぶことであるという姿勢を『虚妄からの脱出』が一貫して執ってきたからでした。
史眼を身につけるという意味では、『史記』は最高のテキスのひとつになり得ます。『史記』に限らず、中国古典の範疇に入るその他の史書にも積極的に接していき、お互いに史眼を養っていこうではありませんか。
そして、そうした訓練を通じて、文明次元から物事を眺めることの出来る能力、すなわちインテリジェンス能力を高めることに繋がるのです。
名著集
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