読書尚友
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島崎藤村 [文学者 ]
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トルストイがその晩年に、老子の教を探し求めてゐたといふことは床しい。思想とは完成するにつれて殻を脱ぐやうなものではあるまいか。あらゆるものを見尽くし、あらゆる試練に耐へ、その志を弱くし、その骨を強くするところまで行って、万苦を経て後に思想無きに到ったやうな人が老子ではあるまいか
『桃の雫』
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藤原肇 [国際政治コメンテーター ]
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藤原肇:僅か五千語しかない短い文章だけれど、何と言っても『道徳経』は世界で一番素晴しい本ですね。
張錦春:話によると、世界の優れた学者が有益な本の投票をしたら、『道徳経』が二位だか三位になったそうです。おそらく、一位になったのは『聖書』でしょうから、これは宗教の聖典なので多くても当然だが、『道徳経』は内容的に結晶の度合がはるかに高い。
藤原:『道徳経』は戦略論としてダントツの地位を占めていて、『孫子』や張良の愛読したという『太公望の兵書』だって遥かに凌ぎ、世界一の戦略思想が展開されています。
張:ところが、老子の『道徳経』を徹底的にマスターした人は、世界だけでなく中国人でも非常に少ないのです。だから、現在が大変時代であるだけに、多くの人にこの『道徳経』を読んでマスターしてもらい、地上に素晴しい世界が出来て欲しいと考えます。しかし、そこに使われている文字が非常に難しいために、原文で読みこなすのは中国人にも困難だから、老子の思想のエッセンスを西欧の言葉に訳しても、正確にその思想を伝えるのはとても難しいのです。だけど、「万物は自然をたすけて敢えてなさず」ということや「無為にして為さざるはなし」という思想は、非常に柔軟で賢明な発展に基づいており、これは現在のような多災多難の時代の世界を救う仙薬です。
藤原:『道徳経』については昔から沢山の翻訳書があるし、研究論文や解説書が山をなしているけれど、言葉の意味に蘊蓄が籠っているだけに、読み方がとても難しいのは当然でしょうね。数理哲学は物事の関係を論理構造として捉えて、連続や不連続の相互関係を論じる学問だが、易は結論的に言ってしまうと数理哲学の一種であり、老子哲学の真髄をビジブルにしたのが『易経』だから、幾何学としての易をマスターすることで、『道徳経』の哲学のアナログ化を誰かがやらなければいけない。
張:私はその考えに対して大いに賛成です。もともと深遠な理論を詩的に表現した老子哲学は、無と無限について統一的に考えていまして、それを有形化して具体性を持たせのが易です。それに、六十四の卦は明らかに宇宙を形象化したものだから、中国では易を[理象数気の学術]と敬称しています。また、中国人は陰陽原理に基づいて考え慣れているので、ものごとには両刃と々二面性があるから、利益のあるところには実害がつきまとうし、利は害を匿い害は利を生むという具合に理解しています。
藤原:中国ではどんな僻地の子供でも「われに孔孟の教えあり」と言ったものだが、それ以上に老子的な無為自然の落ち着いた思想と[禍福はあざなえる縄]に似た発想があって、これは陰陽に基づく変化の視点と結びついている。そういう意味では、『道徳経』の道は目に見えない宇宙の秩序で、徳が人倫としてのエチックスに相当している。それを幾何学か示す調和の思想で統一したものが、古代中国で確立した哲学体系だと考えれば、『道徳経』と『易経』の組み合わせが成立した時代精神が良く分かる。
張:当今のあらゆる学識領域での世界的な一流人物は、人類の叡知の最高目標が宇宙の運行原理であり、殊に数学界や自然科学界のエリートのほとんどが、原理の幾何学化にあることを信じている。換言するなら、宇宙構造の原理と変化の根本原因の解明は、『易経』の発揚光大に他ならないのであるが、悲しいことに『易経』の母国である中国においてさえ、易の思想は幾何学的な滋養欠如のために、大いに荒廃したまま半ば見捨てられているのです。
『宇宙巡礼』
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森鴎外 [文学者 ]
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聖人の道と事ごとしく云へども、六経を読破したる上にては、『論語』『老子』の二書にて事たるなり。其の中にも、『過ぎたるはなほ及ばざるがごとし』を身行の要として、無為不言を心術の掟となす。この二書をさへよく守ればすむ事なり
『澁江抽齋』
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