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               日本脱藩のすすめ  第30号
                
                   中国古典(老子)

                                                       1999/04/12
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 前回の漢詩に引き続き、今回は老子です。老子と同じ道家に属する思想家に
荘子や列子がいますが、荘子と列子については機会があればいずれ取りあげて
みたいと思います。


 では、老子から脱藩修行者が学べるものを何か、探っていきましょう。最初
に、日本の文豪にとっての老子とは何だったのでしょうか。

 「聖人の道と事ごとしく云へども、六経を読破したる上にては、『論語』『
老子』の二書にて事たるなり。其の中にも、『過ぎたるはなほ及ばざるがごと
し』を身行の要として、無為不言を心術の掟となす。この二書をさへよく守れ
ばすむ事なり」(『澁江抽齋』 森鴎外)

 「トルストイがその晩年に、老子の教を探し求めてゐたといふことは床しい
。思想とは完成するにつれて殻を脱ぐやうなものではあるまいか。あらゆるも
のを見尽くし、あらゆる試練に耐へ、その志を弱くし、その骨を強くするとこ
ろまで行って、万苦を経て後に思想無きに到ったやうな人が老子ではあるまい
か」(『桃の雫』 島崎藤村)


 次に、『道徳経』(老子)の現代における意味を的確に語っているダイアロ
ーグがあります。少々長くなりますが、引用してみましょう。(『宇宙巡礼』
 藤原肇・張錦春著 東明社)

藤原肇:僅か五千語しかない短い文章だけれど、何と言っても『道徳経』は世
界で一番素晴しい本ですね。
張錦春:話によると、世界の優れた学者が有益な本の投票をしたら、『道徳経
』が二位だか三位になったそうです。おそらく、一位になったのは『聖書』で
しょうから、これは宗教の聖典なので多くても当然だが、『道徳経』は内容的
に結晶の度合がはるかに高い。
藤原:『道徳経』は戦略論としてダントツの地位を占めていて、『孫子』や張
良の愛読したという『太公望の兵書』だって遥かに凌ぎ、世界一の戦略思想が
展開されています。
張:ところが、老子の『道徳経』を徹底的にマスターした人は、世界だけでな
く中国人でも非常に少ないのです。だから、現在が大変時代であるだけに、多
くの人にこの『道徳経』を読んでマスターしてもらい、地上に素晴しい世界が
出来て欲しいと考えます。しかし、そこに使われている文字が非常に難しいた
めに、原文で読みこなすのは中国人にも困難だから、老子の思想のエッセンス
を西欧の言葉に訳しても、正確にその思想を伝えるのはとても難しいのです。
だけど、「万物は自然をたすけて敢えてなさず」ということや「無為にして為
さざるはなし」という思想は、非常に柔軟で賢明な発展に基づいており、これ
は現在のような多災多難の時代の世界を救う仙薬です。
藤原:『道徳経』については昔から沢山の翻訳書があるし、研究論文や解説書
が山をなしているけれど、言葉の意味に蘊蓄が籠っているだけに、読み方がと
ても難しいのは当然でしょうね。数理哲学は物事の関係を論理構造として捉え
て、連続や不連続の相互関係を論じる学問だが、易は結論的に言ってしまうと
数理哲学の一種であり、老子哲学の真髄をビジブルにしたのが『易経』だから
、幾何学としての易をマスターすることで、『道徳経』の哲学のアナログ化を
誰かがやらなければいけない。
張:私はその考えに対して大いに賛成です。もともと深遠な理論を詩的に表現
した老子哲学は、無と無限について統一的に考えていまして、それを有形化し
て具体性を持たせのが易です。それに、六十四の卦は明らかに宇宙を形象化し
たものだから、中国では易を[理象数気の学術]と敬称しています。また、中
国人は陰陽原理に基づいて考え慣れているので、ものごとには両刃と々二面性
があるから、利益のあるところには実害がつきまとうし、利は害を匿い害は利
を生むという具合に理解しています。
藤原:中国ではどんな僻地の子供でも「われに孔孟の教えあり」と言ったもの
だが、それ以上に老子的な無為自然の落ち着いた思想と[禍福はあざなえる縄
]に似た発想があって、これは陰陽に基づく変化の視点と結びついている。そ
ういう意味では、『道徳経』の道は目に見えない宇宙の秩序で、徳が人倫とし
てのエチックスに相当している。それを幾何学か示す調和の思想で統一したも
のが、古代中国で確立した哲学体系だと考えれば、『道徳経』と『易経』の組
み合わせが成立した時代精神が良く分かる。
張:当今のあらゆる学識領域での世界的な一流人物は、人類の叡知の最高目標
が宇宙の運行原理であり、殊に数学界や自然科学界のエリートのほとんどが、
原理の幾何学化にあることを信じている。換言するなら、宇宙構造の原理と変
化の根本原因の解明は、『易経』の発揚光大に他ならないのであるが、悲しい
ことに『易経』の母国である中国においてさえ、易の思想は幾何学的な滋養欠
如のために、大いに荒廃したまま半ば見捨てられているのです。

 藤原肇さんの言う「メタサイエンス」、張錦春さんの言う「MacocaM
(動態幾何学の精緻)」は21世紀の科学をリードする潮流になるものと思わ
れます。(メタサイエンスについては、いずれ当メールマガジンで取りあげる
予定です。)


 さて、老子と脱藩との関連に筆を戻します。僅か五千文字とはいえ、珠玉の
ような訓言が『道徳経』には沢山あります。そのうちの幾つかを取りあげてみ
ましょう。この中から一つでも脱藩修行者の座右の銘たるものがあれば、幸い
です。
(JISコードに無い漢字は、ひらがなを使用。)
(各章の意味・解説は、電脳仙人倶楽部、丸山さんの『老子釈』を引用。)

(第11章)
 三十輻共一轂   三十の輻、一つの轂を共にす。
 當其無有車之用  其の無に当たりて、車の用有り。
 挺埴以爲器    埴を挺めて、器を為る。
 當其無有器之用  其の無に当たって、器の用有り。
 鑿戸B以爲室   戸ゆうを鑿って以て室を為る。
 當其無有室之用  其の無に当たって、室の用有り。
 故有之以爲利   故に有の以て利を為すは、
 無之以爲用    無の以て用を為せばなり。

意味(電脳仙人倶楽部):[例えば三十本の棒が一点に集まり車輪の真ん中に
は空っぽの穴があってそこに車軸が入るから車の用を為す。また土をこねて器
をつくるにしても器はその中が空っぽだからこそ器の用を為す。あるいはまた
部屋をつくるにしても土の壁に穴を掘って出入り口をつくり、その中を空っぽ
にするからこそ部屋となる。だから有用なものとは、その中が空っぽで何もな
い事で、何もないからこそそこにものの用が生まれると言うもの。]

解説(電脳仙人倶楽部):《この章は実に解り易い話で、しかもそれが決して
陳腐なものとならないのは、あたかも明快に物の「存在と無」についての哲学
的命題を解こうとするからだろう。しかもこの解かり易さは「無」を以って「
道」を語り、「有」を以って「生命の有様。」を語り、「老子」全体その八十
一章の中にしっかりと組み込まれて今に伝わる。これまでは何やら漠然とした
その物言いが、にわかに身近な物に例えられて語られるが、確かに茶碗の中ま
で土がつまっていたら、それは茶碗の用を為さないし、家だってそうである。
「だから有る物の有用性とは、それは空っぽで何も無いから、そこに物の用が
働きを持つ。」と、逆に「無」の有用性を説いて、有るか無いか解らない様な
「道」の有用性を併せて説明しようとする。この事は別の章でも、「優秀な人
材などというものは無くてよいもの。彼はせいぜい一部所の長ぐらいには使え
るが、そんな優秀さなどは要らない。」と同じような事を説いている。人は優
秀さを競う。ぼーとなんかしていられない。優秀な技術、優秀な資格、そんな
ものをどんどん取り込んで頭の中を一杯にし、有りもしないものを求めるより
、目の前の手にする事のできるものを大切にする方が先だ。時代は物質文明の
時であり、掘り出した石がダイヤモンドの原石なら、せいぜいカットに磨きを
かけてこれを大切なものとする。いやまさに老子はそんな現代の風潮にも痛烈
な皮肉をこめる。しかしいったい、道祖神や「道」を説く事を好んで老子のこ
とばを伝えて来たかつての日本はどこへ行ってしまったのだろうか。科学が「
核」の恐怖をして我々の生活を豊かなものにするというその万能性を失い、ま
たその限界を露呈する今、我々は「知恵のことば」の前に自らの優秀さを「無
」にして、現代に新たな調和を作り出すための価値観を再構築する必要がある
のだろう。しかもそれはこころの世界の事だから、我々がそうしようと想えば
叶う事で、現代は、この「想うこころ」が萎えてしまった時代でもあるのだろ
う。知識優先の時代に、意識の萎えた時代に我々は生きているに違いない。誰
しも子どものようなこころを持ち続ける事も難しい事で、いつまでも子どもで
ある事を許す社会でもない。しかし「道」に照らすなら勉強する事は本当に必
要なのだろうか。》


 第11章を目にするたびに思い出す人物がいます。本郷七郎さんといい、昭
和40年代前半のある日、用があって銀行に行ったときの話です。銀行の窓口
で待っている間、たまたま手にしたのがヨーロッパのスイスの街並みやアルプ
ス山脈の神々しいグラビア写真集でした。そして、本郷さんはその写真を眺め
ているうちに無性にヨーロッパに行きたいという思いに駆られたのです。そし
て、本郷さんの夢は実現しました。しかし、数カ月間ヨーロッパを廻って帰国
するはずが、「流れる雲を追って地の果てまで」と旅を続けているうちに、結
局7年半の海外放浪の旅になってしまったのです。
 見方によっては、本郷さんの7年半は、自分の出世に結びつくわけでもない
し、また、長年日本を留守にしていたため、なかなか自分の国に馴染めないと
いう、いわば、自己危機に陥って、苦しむといったさんざんな目に会っていま
す。
 一流大学を出て、一流企業に就職することを人生の最大目標とする人たちか
ら見れば、なんという無駄な生き方だと捉えられるのではないかと思います。
 しかし、本郷さんにとっての7年半が、かけがえのない体験として、今日の
本郷さんの人生に活きています。
 必死になって日本社会に復帰した本郷さんは、その後、ガムシャラに仕事に
励み、現在では小さいながらも一つの会社の専務取締役を担当するまでになり
ました。また、最近は心にゆとりができ、7年半の間撮りまくった写真が、今
までは辛くて見るのも嫌だったのに、今では写真を眺める喜びが出てきたそう
です。
 若い頃は、本郷さんのように空白の期間を持つことは大切なことです。7年
半という期間はともかく、脱藩道場でも若いメンバーに少なくも1年間程度の
海外武者修行をすすめる所以です。老子流に言えば、無用の用のすすめという
ことになりそうです。
 

(第47章)
 不出戸知天下     戸を出でずして、以て天下を知る。
 不窺C見天道    まどを窺わずして、以て天道を見る。
 其出彌遠其知彌少   其の出づること彌遠ければ、其の知ること彌尠なし。
 是以聖人不行而知   是を以て聖人は、行かずして而も知り、
 不見而名不爲而成   見ずして而も名づけ、為さずして而も成る。

意味(電脳仙人倶楽部):[道は在って、目には見えないもの。だからわざわ
ざ家を出て世界を見て回らなくても知る事ができ、道の有り様も、何も窓から
天を覗いて見るような事をしなくても知れる。世界の有り様を見ようと、遠く
へ行けば行くほど道について知る事は少ない。だから聖人は行かなくても知る
事ができ、見た事のないものでも解り、何もしなくても事を成し遂げる。]

解説(電脳仙人倶楽部):《ここでも老子は、空しく「聖人」の有り様を示し
て「道」を語る。世の中の有り様は日々の暮らしによって、そこに繰り広げら
れる様々な出来事を「道」からのサインとして人々の有り様も知れる。だから
わざわざ世の中がどうなっているか、遠くに出かけて見ようなどとしなくても
よい。いやそうして遠くに行けば行くほど世の中の景色に目を奪われ、ただ見
る事にこころも奪われて、生命そのものからの声が聞こえなくなってしまうも
の。だからそれでは知る事も少なくなってしまう。日々の暮らしの中に顕われ
る「道」からのことばを聞き逃さず、また見過ごさず自分自身の中にある生命
そのものの働きを内省内観していれば、世の中の事は解り、天の有り様も解る
。これは不思議な事だが、例えば見た事もないものでも、なぜそれがそこに有
り、それを何と呼ぶべきかも知る事ができる。外に在る「道」と内に在る「生
命そのものの有り様」が呼応すれば、ことさらにそうしようなどとしなくても
、そうならない方がおかしいのであって、「道」によって先見し、事を為す事
ができると。老子の時代「観光」とは、「道」を得た者の智恵の光を、その人
に接して我が内に内観する事を言ったが、今の観光は、その時代の「物見遊山
」に他ならない。老子は「遠くへ行けば行くほど、知る事は少ない。」と戒め
、内なる喜びを忘れ、外なる享楽を求める人の有り様をも戒める。しかし誰も
が必ずや持つであろう「喜びを求めるこころ」をこの様に否定する事ができる
ものだろうか。いや「食欲」と言うも、「性欲」と言うも、「物見の欲」も、
これを絶って人は生きる事もできはしない。どこまでが「道」に叶い、どこま
でが「道」に許されるものか。人である私にはとんと解らない。実に「道」は
生命を人に貸し与え、これを完成に導くように働き、その足らずを補い、その
行き過ぎを元に戻そうとするかのようだ。そして万が一、人が大きくこの「道
」に反するような事をすれば、「天地は情け容赦もなく、人の生命をも簡単に
捨てる。」と言うのだ。排されるべき知識も自分自身を知るためのこころの旅
の様なもので、この「知識欲」も老子は捨てなさいと言うのであろうか。いや
老子はすべてを知った上で、「知らず」と翻っているのであろう。》

 現在は第三次革命である情報革命が静かに進行しつつあります。そして、第
二次革命である産業革命が終焉を迎えようとしており、その名残りである旧秩
序がガラガラと音を立てて崩れています。これから到来する情報集約型社会を
生き抜くためには、情報革命に対する見通しをしっかりとしたものにする必要
があるでしょう。特に、日本は情報革命という大潮流に翻弄されているため、
混乱に陥っていますが、こういう時こそ老子流の無欲な目で大潮流を見つめる
べきなのではないでしょうか。そういう老子的視野を身につける一つの方法と
して、メールマガジン【日本脱藩のすすめ】第25号で[海外の雑誌・新聞を
読む]を執筆した次第です。


(第66章)
 江海所以能爲百谷王者  紅海の、能く百谷の王為る所以の者は、
 以其善下之       其の善く之に下るのを以てなり。
 故能爲百谷王      故に能く百谷の王と為る。
 是以欲上民       是を以て民に上たらんと欲すれば、
 必以言下之       必ず言を以て之に下る。
 欲先民         民に先んぜんと欲すれば、
 必以身後之       必ず身を以て之に後となる。
 是以聖人        是を以て聖人は、
 處上而民不重      上に処りて而も民は重しとせず。
 處前而民不害      前に処りて而も民は害とせず。
 是以天下樂推而不厭   是を以て天下推すことを楽しんで而も厭わず。
 以其不爭        其の争わざるを以て、
 故天下莫能與之爭    故に天下能く之を争うも莫し。

意味(電脳仙人倶楽部):[大河、大海が百谷の王とされるのは谷よりも低い
からで、谷よりも下にあれば、全ての水が自然と流れ込み、百谷の水も全て自
分のものになるようにできている。だから人々の上に立とうと思うなら、まず
謙虚であれ、人々の先に立とうと思うなら、まずその後に立て。聖人は人々の
上にあっても重いとは思われず、その前に居ても邪魔にはされない。しかも世
界は喜んで彼を立て、いやな顔もしない。それ故争いも生じず、世の中に彼と
争おうとする者も現れない。]

解説(電脳仙人倶楽部):《第六十一章「大国者下流。」に同じく、「大きな
海は百谷の王であり、すべての流れはいずれ海にたどる。それは海がすべての
流れの下に在るからで、この事は、人の在り方にも同じ事が言えるのだと言う
。「もしあなたが人々の上に立ちたいと思うなら、ことばを以って人の下に自
分を引き下げ、人に先んじようとするなら身を以って人の後に就きなさい。」
と。そしてもしもあなたが「聖人」であるならば、人はあなたの事を疎ましく
は思わないし、前に立つあなたを邪魔にもしないと言う。とかく上に立つ者は
、それが故におかしなプライドを持ちたがり、そのことばは命令的になったり
もして、結局嫌われるのが常ではなかろうか。人は海に下る事よりも、より高
い山に憧れ、そして登りたがる。彼の理想は高く、彼のことばは耳に心地よく
、人々に大いなる錯覚を与え、人々はそのことばに酔いもする。しかしやがて
目を覚ました人々は、彼を一番高い所から引き降ろす。歴史は身近な所で老子
のこのことばを証明する。そして大海の平安を得た者は自分を引き下げて争う
事がないから、世の中にも争いは生まれないと言う。確かにことばが丁寧過ぎ
ると返っていやみに聞こえる事もあり、それは難しい事だ。あるいは人の後に
就く事も、問題の解決を人に押し付ける様でずるさを感じて難しい。遠慮も度
が過ぎると相手をばかにした様にも思われる。そこは難しい事だが、先に立っ
た人は少なからずあなたに敵意は抱かないだろう。謙ったことばも敵意を和ら
げるに違いない。一々人のことばに反発するような事をしていたのでは、やが
ては争いに発展してしまう事だろう。下流は上流から流れるすべての物を受け
入れる。それが喩え塵芥でさえ。そしてこれに同じく、下にに立つ者は、上に
立つ者のすべてを受け入れなくてはならない。「聖人」であれば、そんな人の
塵芥をも、やがては浄化してしまう。そんな人の怨みつらみはどんどんあなた
のこころの中に在る浄化槽できれいにして上げればいいじゃないか。そしても
しそんな「聖人」である事を望むならば、ただ「道」に従って生きさえすれば
いいのだ。そうすれば誰でも「聖人」になれる。》
 果たして、現在は帰服したくなるだけの政治家・官僚がいるのでしょうか。
逆に老子の理想とする指導者と対極にある人物をあげよと言われれば、幾人で
も出そうです。
 一例として、大蔵官僚であり、『ミスター円』で知られている榊原英資・財
務官を引き合いに出してみましょう。
 榊原財務官は昭和六十年から二年間、理財局国庫課長をしていて、六十一年
から翌年にかけて発行された昭和天皇ご在位六十年記念金貨(十万円)の責任
者だったのですが、この金貨が詐欺もいいところで、金の含有量額面の半分以
下の二十グラム。そんな金貨が一千万枚も発行されたのです。国は国民から詐
欺的手法で一兆円を吸い上げてホクホクだったが、悪貨をつかまされた国民は
泣くに泣けないということになりました。これでは詐欺師と何ら変るところが
ありません。 
 その後、この記念金貨の偽物が出回るという事件がありましたが、本物より
も金の含有量が多い偽物であったために、結局、うやむやになったという経緯
がありました。偽金貨をつくった犯人の方が“良心的”ということなのでしょ
うか。


 最後に、一般の老子釈とひと味違った電脳仙人倶楽部のオーナー、丸山さん
の老子釈、如何でしたでしょうか。丸山さんの老子釈をさらに読んでみたいと
いう読者は、下記のURLを訪れてみてください。丸山さんは埼玉県の奥秩父
に住んでおり、やきものを生業としています。丸山さんは、「想い」というメ
ーリングリストを開設していますので、一度覗いてみるといいかもしれません
。このMLは心の温かい人たちが集う、まさに電脳で結ばれた仙人の倶楽部で
す。
http://www2.justnet.ne.jp/~e.maru/
(老子の画像をクリックすれば、丸山さんの老子釈に行けます。)
 
 次回も引き続き中国古典シリーズをお届けする予定です。


==========================訓言==========================

夜郎自大 
[やろうじだい ] 
夜郎自大 『史記』(西南夷列伝)
解説「井の中の蛙」と同じ意味。「夜郎」とは漢代、中国
の西南にあった少数民族の国。漢の使者を迎えた夜郎国の
王が自国が漢より大きいと思って自慢したことから出た。 

「タコ壷」とも言い換えることができそうです。視野狭窄
のために陥るものであり、これを克服するにはインテリジ
ェンスを身につけるべきです。
別の表現を用いるなら、「己れの枠組を乗り越える」すな
わち脱藩のすすめです。 
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脱藩道場 編集部  亀山信夫 葛巻岳
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発行部数 556


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