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日本脱藩のすすめ 第39号
中国古典(三国志)
1999/06/14
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今回の中国古典シリーズは、『三国志』です。
『三国志』(紀元290年頃成った書。以後、『正史 三国志』とします)
を要約すれば、紀元2世紀末から魏、蜀、呉の三国が中国を三分して争い、つ
いには晋の天下統一に至るまでを記述したものです。中国正史の中では、良書
のひとつに数えられている史書であり、かなり高い評価を受けています。
しかし、現代のわれわれが手にする『三国志』は、ほとんどが明代の羅貫中
が書いた小説、『三国志演義』(以後、『三国志』とする)です。『三国志』
は、『正史 三国志』より千年も後の1494年頃成ったといわれる書なのです。
ここで『三国志』は、『正史 三国志』を平易に書き改めたものと思っていた
だければいいでしょう。
また、それ以外の『正史 三国志』と『三国志』との違いとして、一般にわ
れわれが読む『三国志』は、蜀の劉備などを善玉扱いにし、魏の曹操を徹底的
に悪玉扱いにしているのが特徴です。これは南栄の朱熹(朱子)の、劉備こそ
漢の血統を継ぐ(宗族)者であり、国をたてるべき正統の人間であるという主
張、すなわち朱子学の大義名分論にもとづいたものでした。このように蜀を正
統とした朱子学が長く官学となったことから、蜀の正統性が一般化したものな
のです。ここで朱子が正当性に固執する点については、中国社会の基底をなす
血縁、すなわち宗族の思想が入りますので理解しづらいかもしれません。なぜ
なら、日本社会は血縁社会ではないからです。
いずれにせよ、『三国志』以前は必ずしも曹操が絶対の悪玉というわけでは
なかったのです。つまり、そのような価値判断は、『正史 三国志』にはなか
ったという点に注意しておく必要がありそうです。『正史 三国志』では、善
玉と悪玉の角逐というものを描いていないとどころか、曹操を一角の人物とし
て描いていることを強調しておきたいと思います。
『三国志』は中国同様、日本でも人気があり、一度は読んだことがある読者
がほとんどではないでしょうか。書店の中国古典コーナーに行くと、三国志関
係の本が他の本よりも圧倒的に多いことからも人気のほどが伺えます。
また、インターネットで中国古典をキーワードに検索すると一番多いサイト
が三国志です。一度読者自ら確認し、幾つかのサイトに訪れてみることをお勧
めします。
ここで、三国志を個人ホームページの一部として取り扱っているホームペー
ジを紹介します。
【乾坤一擲】
http://village.infoweb.ne.jp/~fwje4389/index.htm
これは、北海道・旭川の菅原さんのホームページでして、ホームページ【日
本脱藩のすすめ】とも相互リンクで結ばれています。菅原さんは仲間と共に『
晋書』全訳を目指した共同サイトも開始しており、今後の日本における中国古
典の普及に貢献してくれるものと確信しております。
再び、『三国志』に話を戻します。
この本は雄大な構想で痛快きわまる大ロマンを描いています。稀世の大軍師
、諸葛亮孔明が、死を覚悟して、若き蜀帝・劉禅に献じた「出師の表」。これ
は胸を打つものがあります。そして、諸葛亮孔明が魏の司馬仲達と雌雄を決す
る戦い。戦略・戦術の限りを尽くし、自国の存亡を賭けて相戦うこの二人の名
将の壮烈な戦い、非常に読みごたえがあります。こうした天下統一の野望を胸
に、数々の英雄たちの栄光と挫折を描く『三国志』は、単なる小説の域を越え
、戦術・戦略、史眼、人間の心理といったものを教えてくれるような気がしま
す。ここに、インテリジェンスを磨く秘訣のひとつに『三国志』をはじめとす
る、中国古典という存在があるのです。また、これらの古典を通じて、脱藩人
にとって最も大切な誠実さ、見識というものが知らず知らずのうちに身につい
てくるのです。
さて、『三国志』の叡智を幾つか取りあげてみましょう。
■子治世之能臣、乱世之姦雄
・子は治世の能臣、乱世の姦雄なり
[通釈]あなたは、平和な時代であったなら有能な家臣になるだろうし、乱世
にあっては悪知恵にめぐまれた英雄になるであろう。
これは曹操(武帝)のことを述べたことばです。曹操は若くして人並み外れ
た才能を持ち、戦略・戦術にも秀でていた人物です。しかし、素行が良くなく
、人は若き日の曹操を大人物とは見ていませんでしたが、曹操とつきあってい
た子将は本当の曹操の人となりを見抜いていました。それが、「子治世之能臣
、乱世之姦雄」ということばになったのです。
■太祖運籌演謀、鞭撻宇内。攬申商之法術、該韓白之奇策、官方授材、各因其
器、矯情任算、不念旧悪。終能総御皇機、克成洪業者、惟其明略最優也。抑可
謂非常之人超世之傑矣。
・太祖、籌を運らせ謀を演べ、宇内に鞭撻す。申・商の法術を攬り、韓・白の
奇策に該え、官方材を授け、おのおのその器により、情を矯め算に任せて、旧
悪を念わず。ついによく皇機を統御し、よく洪業を成すものは、ただその明略
もっとも優ればなり。そもそも非常の人・超世の傑と謂うべきなり。
[通釈]太祖(曹操)は、策略をめぐらし、計略をおこない、天下を叱咤し、
(戦国時代の法言えである)申不害・商鞅の法術をとっておこない、(漢の名
将である)韓信や(戦国秦の名称である)白起の奇策を備え、技術・才能のあ
る者を、おのおの器量に応じて官につけ、私情をおさえて理性にうったえ、古
い失敗を心にかけなかった。ついに最高の権力をにぎり、大業をなしとげるこ
とができたのは、ひとえに太祖の賢い計画がもっとも優れていたからである。
そもそも、常にはいないような人物であり、世を超えた傑物というべき人物で
ある。
最初に目をひくのは、太祖の適材適所についての考え方です。今日の日本に
とっての最優先事項は、日本を導いていくリーダーの発掘とその活用にあるこ
とを考えるに、現在の日本の“指導者”と言われている人たちに『三国志』を
読んでもらい、己れが老害をまき散らしている非を悟り、一日でも早く優れた
人材とバトンタッチしてもらいたいものです。
ところで、上記の「太祖の賢い計画」とは戦略思考と密接に結びついており
、戦略思考ができるようになるためにはインテリジェンスが要るということを
、脱藩道場編集部では改めて主張しておきたいと思います。
■御軍三十余年、手不捨書、昼則講武策、夜則思経伝。登高必賦、及造新詩、
被之菅絃、皆成楽章。
・軍を御すること三十余年、手に書を捨てず、昼はすなわち武策を講じ、夜は
すなわち経伝を思う。登高しては必ず賦し、新詩を造るに及びては、これを菅
絃に被らしめ、みな楽章を成す。
[通釈]軍を統率すること三十余年の間、手から書を離すことなく、昼は兵法
書をしらべ、夜は儒教経典を探究した。(九月九日に山で酒宴を開く)登高の
行事に際しては必ず詩を作った。新しい詩ができると、菅絃に合わせて歌った
。それがすべて正しい韻になっている。
自己啓発のすすめです。日々成長していこうという気構えがない人には、脱
藩修行は無理だから、諦めなさいと忠告することにしています。
補足として、武帝は政治家として、詩人として、学者として、いずれにおい
ても一流であったことを忘れないようにしたいものです。
■死諸葛走生仲達
・死せる諸葛、生ける仲達を走らす
[通釈]死んだ諸葛が、生きている仲達を走らせた
有名な句であるというよりも、『三国志』のなかで最もよく知られた逸話で
はないかと思います。最後の最後まで、諸葛亮孔明は古今東西類をみない大軍
師でした。
■儒生俗士、豈識時務。識時務者在乎俊傑。
・儒生俗士、あに時務を識らんや。時務を識る者は俊傑に在り。
[通釈]儒教を学んでいるだけの者や見識の低い者に、いまがどういう時代な
のかを読みとり、そのなかで何をなすべきかといったことがどうしてわかろう
か。それは俊傑といわれる人でなくてはできないことなのだ。
脱藩道場編集部がここしばらく中国古典シリーズを読者の手許にお届けして
いる理由のひとつに、この見識にあります。明治時代の日本人に見識の高かっ
た人物が多かったのも、古典を読んで古人の智慧に学ぶことを通じ、見えない
ものを読む訓練といった修行を怠らなかったから他になりません。
そして、時代の潮流を読みとることができる人は、例外なくインテリジェン
スを身につけています。
■誠宜開張聖聴、以光先帝遺徳、恢弘志士之気、不宜妄自菲薄、引喩失義、以
塞忠諫之路也。宮中府中倶為一体、陟罰臧否、不宜異同。若有作奸犯科及為忠
善者、宜付有司論其刑賞以昭陛下平明之理、不宜偏私、使内外異法也。
・まことに聖聴を開張して、もって先帝の遺徳を光かし、志士の気を恢弘すべ
し、妄りに自ら菲薄し、喩えを引き義を失いて、もって忠諫の路を塞ぐべから
ざるなり。宮中・府中はともに一体たり、臧否を陟罰するに、異同あるべから
ず。もし奸をなし科を犯し、および忠善をなす者あらば、有司に付してその刑
賞を論じ、もって陛下の平明の理を昭かにすべし、偏私して、内外をして法に
異にせしむべからざるなり。
[通釈]何とぞ心広く下々の意見をお聞きになって、先帝の遺徳を輝かせ、志
士の勇気を振るい起こすようにして頂きたいのです。みだりに軽薄なことをい
い、不当なたとえをひいて、忠言の未知をふさぐようなことがあってはいけま
せん。朝廷も政務所もともに一体となり、善人を昇進させ悪人を罰し、不公平
があってはいけません。もし悪事をはたらいて法をおかした者、また忠義な善
行のある者は、役人にまかせて、ふさわしい刑と賞とをあたえ、これによって
陛下の公平で明らかな裁きを示されるのがよい。えこひいきをして内と外で賞
罰に差があってはいけません。
諸葛亮が大遠征に進発するにあたり、劉禅(武帝の子)に上奏文を奉呈しま
した。この上奏文こそ、有名な「出師の表」です。これは、誠忠の情のあふれ
たものと知られ、前後二回のものがあります。上記は「前出師の表」です。
この上奏文に書かれている内容は、上に立つ者の心構えの文といえるでしょ
う。そして、こうしたことを上に立つ者に言えるだけの人材が続々と輩出する
ようでなければ日本は救われませんし、また、上に立つ者もそうした忠告に耳
を傾けるだけの器量がないことには、指導者たる資格はないといえます。
残念ながら、今の日本の指導者と呼ばれている人たちは利のみ追い求め、理
を見失っており、醜態を曝しています。こうした老人たちには、一刻でも早く
隠居してもらった方が日本のためです。
■吾謂大弟但有武略耳。至於今者、学識英博、非復呉下阿蒙。
・吾、謂えらく、大弟ただ武略あるのみ、と。今に至りて学識英博、また呉下
の阿蒙にあらず。
[通釈]自分は、そなたが武辺だけの人物と思っていた。今になってみると学
問知識がひろくすぐれていて、もはやかつての蒙坊やではない。
「呉下の阿蒙」という言葉は聞いたことがある読者が多いものと思います。
この逸話は、呂蒙が孫権王に学問をすすめられ、そして励んだ後のものです。
ここで、孫権王が呂蒙に忠告したことは以下のようなものです。
呂蒙は、呉の孫権に仕えていました。ある日、孫権は呂蒙と
蒋欽という部下に言いました。「そのほうは、今二人とも要職
にある。学問をして眼を開かなくてはいけない。呂蒙がこたえ
た。「軍中にあっては常に多忙に苦しみます。おそらく読書な
どする暇がありません。」
このことばは、これに対し孫権が重ねてつぎのように語った
ことばの最後に出てきます。
「わたしは、おまえに経書を学んで博士になれというのでは
ない。少しはいろいろな本を読んで、昔のことを見知ってほし
いのだ。おまえは多忙だというけれど、わたしとくらべてどう
だろう。わたしは若い頃、『詩経』『書経』『礼記』『左伝』
『国語』をひとわたり読んだ。・・・・国をみるようになって
から、三史(『史記』『漢書』『後漢書』)や諸家の兵法書を
読み、自分でも大いに役に立ったと思う。おまえたち二人は、
頭もよいから、学べは必ずものになる。学ばないという法はな
い。とりあえず『孫子』『六韜』『左伝』『国語』と三史を読
むがよい。」
さて、話を「呉下の阿蒙」に戻します。
「呉下の阿蒙」は、呂蒙が孫権王に学問をすすめられ、励んだあとに出てく
るものです。先輩の将軍である魯粛が呂蒙を久しぶりに訪れて、議論を交わし
たところ、それまでよりも呂蒙の学識が格段にすすんでいたことに驚いて発し
たことばです。
これに対して呂蒙が答えたことばが次です。
「別三日、即更刮目相待」
(別れて三日、すなわちさらに刮目してあい待す。)
これは、男子三日会わざれば刮目すべしという格言です。
いずれにせよ、呂蒙は既に「呉下の阿蒙」ではありませんでした。呉下の阿
蒙とは悪いたとえとして使われています。呉下の阿蒙とは、進歩しない昔なが
らの人、学問のないつまらぬ者という意味に使われているのです。
いやしくも脱藩を志すなら、呉下の阿蒙(進歩しない人)であってはならな
いでしょう。
最後に、三国志に関する記事を二つ取りあげておきたいと思います。
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三国志について
私の時代小説は比較的売れる方らしい。十数年前に書いたの
を、別の出版社から、カタチを変えて出すと、ある程度の部数
が出る。返本の山になって、出版社に迷惑をかけたことは、ま
だ一度もないようである。
ところが、皮肉にも、私が最も力をこめて書いた小説が、あ
まり売れない、という現象も経験させられている。
例えば、「三国志・英雄ここにあり」である。これは、中国文
学を専攻した私が、行く年も前から書きたい、と心構えができ
ていたし、「週刊現代」に、えんえんと三年間も連載して、三
千枚にもなった。私の小説の中では、最大長篇であった。
講談社出版部も、私の苦労を察してくれて、装幀も造本も立
派にし、上中下三巻を、それぞれ490円の安さで出版した。
にもかかわらず、初版(1万5千部ぐらいであったか)だけで
ピタリと止まり、ついに再版にいたらなかった。翌年、この小
説は、「吉川英治文学賞」を受賞したが、講談社から、再版す
るという音沙汰はなかった。
私は、面白くなかった。同じ頃、別の出版社から地方紙に、
かなりいい加減に書きなぐった時代小説が出版され、これが、
どんどん版を重ねていたからである。
すでに「三国志」は、吉川英治本があったが、私は私なりに
力をこめて、「三国志」を書いたのである。読んでもらえば、
満足してもらえる自信があった。
「三国志」は、どの作家が取組んでも、面白くなる壮大なス
ケールをもった「国造り物語」である。私は、実はひそかに、
ベストセラーになることを期待していた。その期待は、まんま
と裏切られた。
それ以前、私は、「図々しい奴」という現代小説が、テレビ
・ドラマ化され、それが大当たりして、百万部も売れたため、
翌年は、税金が支払えなくなり、黒字倒産したにがい経験を持
っている。
ベストセラーになるのは、必ずしも、うれしいことではない
ことは、身を持ってあじわっている(経済的観念が乏しいため
印税が入ると、片っぱしから浪費するせいでもあるが・・・)
しかし、自分が精魂こめて、三年間も、週刊誌に書きつづけ
た最大枚数の長篇小説が、さっぱり売れないとなると、
−−勝手にしやがれ!−−
と、腹が立つのは、人情である。
しかも、「吉川英治文学賞」まで受賞しながら、再版さえし
ないと、出版元の講談社にまで、難癖をつけたくなる。
豊臣秀吉や徳川家康の「国造り」など、「三国志」の劉備玄
徳や曹操の「国造り」に比べれば、スケールに於て全く問題に
ならない。
孔明の神算鬼謀は、世界の歴史上、いかなる軍師も遠く及ば
ない。その策略ぶりをみるだけでも、値打があるはずである。
劉備玄徳の死後、後主劉禅の凡庸を知りつつ、孔明が出師の
表をしたためて、死を覚悟して、出陣するくだりは、最大のド
ラマである。このくだりだけでも、作者は、熱意がこもった。
愚痴めいたPRになったが、現代の中国を知らんとすれば、
まず「三国志」を読む必要があると考えるからである。
(『どうでもいい事ばかり』 柴田錬三郎著)
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柴田錬三郎の“オヤジ”にあたる、今東光が三国志について語っている記事
がありますので、併せて転載しておきます。
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☆☆ 吉川英治とその文学について ☆☆
読者:俺は非常に後悔している。それは吉川英治先生の『三国
志』を読んでしまったことだ。なぜ、こんなすばらしい本をい
ままで知らなかったのか、という後悔と、こんなすばらしい本
を、病気かなにかで退屈で死にそうな時のためにとっておかな
かったか、という後悔だ。それといって特徴がある文章でもな
いのに、本に吸いこまれそうに魅力のいる吉川文学、そして吉
川英治先生について何か聴かせてもいたい。
(京都市伏見区 18歳 X・Y)
今東光:彼の『宮本武蔵』の中で、沢庵和尚の道場なのに、天
海大僧正の開いている道場だと、説明しているくだりがあるん
だ。これを読んで、オレはもうあきれたね。天海は天台宗なん
だ。それを天海大僧正の開いた曹洞禅の道場と書いているんだ
から、物を知らないにもほどがあるよ。
『新・平家物語』でも、週刊誌に連載中、ある大学の先生が
歴史的事実が間違っているのを指摘したら、その章はパッと打
ち切って話を違うほうにもっていったっていうことがあったそ
うだ。
吉川英治の知識なんてその程度のもんでね。オレは馬鹿馬鹿
しくてとても読む気がしないよ。『三国志』が面白かったとし
たら、それは原作が面白いからだ。彼のは単なる翻訳で、創作
じゃないからね。
大佛次郎に会った時、オレに「来てくれ」と言って、無理に
自分とこに連れてった。「仏書を買ったから見て下さい」って
いうんだ。オレは、次々に表紙の字をさっと見て、「これは禅
宗系統の本」「これは何の本」と分類してやったんだ。「ホー
ッ、今さんは、字をみただけで全部中身がわかっちゃうんです
ね」「そりゃあ、オレは坊主だもの」「いや、ただものじゃな
い」
それで大佛は、「源実朝を書いたんだが、どうもわからない
ところがある」って言って、いろいろ質問したので当時の寺の
組織や構成、階級なんかを詳しく説明してやったんだ。そうし
たら、「私はそういうことがよくわからないから、そういう箇
所はボカして書いちゃった。なんで私はフランス語なんかやっ
たんだろう。仏教やっときゃよかった・・・・」と言うんで、
「じゃオレみたいに、十万冊も仏書を読むかね。それも旧漢文
で」って言ってやったら、「やっぱりやらないでよかった」だ
って。
これが大衆作家の楽屋裏でね。だから柴錬(柴田錬三郎)が
怒るんだよ。「吉川英治が国民文学だなんて、ふさげているね
今さん」って。オレもまったく同感だね。
(『極道辻説法』 今東光和尚)
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再来週も中国古典シリーズをお届けします。
■参考文献
・『英雄 生きるべきか死すべきか(上・中・下巻)』
(柴田錬三郎著 集英社)
==========================訓言==========================
帰りなん、いざ田園まさに蕪れんとす
[かえりなん、いざでんえんまさにあんとす]
帰去来兮、田園将蕪
陶淵明 『帰去来辞』
解説 東晋の陶淵明が、役人生活に見切りをつけ、故郷
に帰るときの詩。
この詩の大意が、「さあ、帰ろう。故郷の自分の田畑が
荒れてしまいそうだ。過去のことはやりなおしがきかない
が、これから将来のことは間に合う。道には迷ったようだ
が、まだ遠くはなかった。いま、帰るのはまだ遅すぎるこ
とはない。」というものです。
当時、陶淵明は41歳でした。編集部の亀山も45歳の
ときに長年勤めた会社を辞め、独立開業者の群れに飛び込
んだだけに、陶淵明の気持ちが痛いほどよくわかります。
今、大手企業でも大量リストラが強引にすすめられ、途
方にくれる人が多いようですが、これをチャンスと捉え、
新天地を切り拓いていくべく前向きに生きていきたいもの
です。
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脱藩道場 編集部 亀山信夫 葛巻岳
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